ヤーコプ・ファン・ロイスダール
ヤーコプ・ファン・ロイスダール(Jacob Izaaksz van Ruisdael, 1628年頃 - 1682年3月14日)は、17世紀のオランダの画家。最近は、姓をライスダールと表記する場合も多い。
概説
レンブラントやフェルメールが活躍した17世紀は、オランダ絵画の黄金時代と言われ、他にも多くの優れた画家が輩出した。こうしたオランダ絵画の黄金時代において、もっとも重要な風景画家と見なされるのがヤーコプ・ファン・ロイスダールである。
彼は1628年~1629年頃、ハールレムに画商兼額縁職人の子として生まれる。伯父のサロモン・ファン・ロイスダールも風景画家であり、ヤーコプもその影響を受けている。ヤーコプは1648年にはハールレムの画家組合に登録しており、この頃には修業を終えて独立していたと見られる。1650年から1655年にかけてオランダ各地およびドイツを遍歴して各地で制作。1656年には活動拠点をアムステルダムに移している。
ロイスダールは森林、海岸、田舎道などさまざまな風景を描いているが、国土が平坦で起伏の少ないオランダの風景においては、必然的に空と雲が重要な要素になる。彼の風景画は、地平線を低めにとって、さまざまな空と雲の表情を描写し、光と大気の効果を追求したものが多い。
彼の弟子や追随者は多く、有名な『ミッデルハルニスの並木道』を描いたメインデルト・ホッベマ(1638-1709)も彼の弟子である。
17世紀オランダ風景画成立の背景
17世紀オランダ絵画の特色の一つは、風俗画、風景画、静物画あるいは教会の内部をもっぱら描いた画家など、画家によって専門分野が分かれていたことである。西洋絵画史においては、「風景画」は「歴史画」や「肖像画」に比べて伝統的に一段低い位置に置かれていた。独立したジャンルとしての「風景画」の成立は17世紀オランダに始まると言ってよい。
17世紀のオランダにおいて風景画が栄えた背景には、市民階級の勃興がある。カトリックのスペインの支配から独立を果たし、プロテスタントの共和国であった当時のオランダにおいては、海外貿易による富を背景として富裕な中産市民層が勃興した。教会や大貴族に代わって新たな絵画の注文主・享受者となった中産市民階級の家屋を飾るにふさわしい絵画とは、大画面の宗教画や歴史画よりは、より小規模な風俗画、静物画、風景画などであったろう。
代表作
- 漂白場のあるハールレムの風景(1675頃)(ハーグ、マウリッツハイス美術館)
- ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車(1670頃)(アムステルダム国立美術館)
- ベルトハイム城(1653年)(ダブリン、アイルランド国立美術館)
- ハールレムの眺望(1670頃)(アムステルダム国立美術館)
関連項目
- サロモン・ファン・ロイスダール Salomon van Ruysdael (1600-70)