ロード・ウォリアー・ホーク
ロード・ウォリアー・ホーク(Road Warrior Hawk、1957年9月12日 - 2003年10月19日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身(ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称していた)。
本名:マイケル・ヘグストランド(Michael James Hegstrand)。日本ではホーク・ウォリアー(Hawk Warrior)のリングネームで活躍した。
来歴
ミネソタ州ミネアポリスで育ち、スコット・ノートンはヘンリー高校の同窓生である。1983年、カナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングにて、ナチス・ギミックのクラッシャー・フォン・ヘイグ(Crusher Von Haig)としてデビュー[1]。
その後、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて旧友のジョセフ・ロウリネイティスと合体。ブッカーのオレイ・アンダーソンのアイデアにより、ロウリネイティスはロード・ウォリアー・アニマル、自身はロード・ウォリアー・ホークと名乗り、タッグチーム「ロード・ウォリアーズ」(リージョン・オブ・ドゥーム)を結成する。以降、1980年代を代表するタッグチームとしてマット界を席巻。AWA、NWA、WWF、全日本プロレスなど各団体で数々のタッグタイトルを獲得した。テンプレート:Main
アニマルが負傷欠場中だった1992年下期からは、新日本プロレスで佐々木健介扮するパワー・ウォリアーをパートナーに、新チーム「ヘルレイザーズ」を結成。IWGPタッグ王座の王者チームとなって長期政権を築いた。同時期、オットー・ワンツが主宰していたドイツのCWAにも単身で遠征し、1992年12月19日にランボーからCWA世界ヘビー級王座を奪取している[2]。
2003年10月19日、フロリダ州の自宅で心臓発作に見舞われ死去。テンプレート:没年齢。
2011年、アニマルとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。
得意技
- タッグ用の合体技で、パートナーが肩車で抱え上げた相手を、ホークがコーナー最上段からフライング・クローズラインで撃墜する。
獲得タイトル
- WWF世界タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- WWE Hall of Fame : 2011年度(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- NWAナショナル・タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- NWA世界6人タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル&ダスティ・ローデス×2、ロード・ウォリアー・アニマル&天龍源一郎×1)
- NWAクロケット・カップ・タッグトーナメント優勝:1986年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- NWAアイアンチーム・トーナメント優勝:1989年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- AWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- インターナショナル・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- その他
- CWA世界ヘビー級王座(欧州版) : 1回
- i-ジェネレーション・タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- IPWハードコア・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- PCW世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
- MTWタッグ王座 : 1回(w / ボボ・ブラジル・ジュニア)
- 中部大西洋タッグ王座 : 1回(w / ダグ・ギブソン)
- MEWFタッグ王座 : 1回(w / アルティメット・コメット)
脚注
関連項目
外部リンク
- Road Warriors Official Website
- WWE Hall of Fame
- Profile - Online World of Wrestling
- スポーツナビ「“暴走戦士”ホーク・ウォリアー急死」
- ↑ アニマル・ウォリアー、アンドリュー・ウィリアム・ライト『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』P69-70(2011年、東邦出版、ISBN 4809409511)
- ↑ テンプレート:Cite web