ブロンソン・アローヨ

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テンプレート:Infobox baseball player ブロンソン・アンソニー・アローヨ(Bronson Anthony Arroyo, 1977年2月24日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州キーウェスト出身のプロ野球選手投手)。右投右打。現在はMLBアリゾナ・ダイヤモンドバックスに所属。

経歴

1977年2月24日、キューバ人の父とアメリカ人の母の間に生まれる。父が「チャールズ・ブロンソン俳優)のようなタフガイになってほしい」と願ったことから "ブロンソン" と名付けられた、という[1]。その後野球を始め、高校時代まで遊撃手や投手として活躍する。子供の頃のヒーローは同じ遊撃手のオジー・スミスだった[1]

テンプレート:Byピッツバーグ・パイレーツから投手としてドラフト3巡目(全体69位)指名を受け入団、投手専門になる。テンプレート:By6月12日のブレーブス戦でメジャーデビュー。その後、主に先発や中継ぎとして2年間で44試合に登板する。しかし3年目は9試合登板にとどまり、オフのテンプレート:By2月に球団からウェーバー公示され、ボストン・レッドソックスに移籍する。

移籍1年目のテンプレート:Byインターナショナルリーグ最優秀投手に選出され[2]テンプレート:Byにメジャー先発ローテーションに定着し、自身初の2桁勝利(10勝)を挙げ、レッドソックスにとって86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝にも貢献した。さらに翌テンプレート:Byには自己最高となる14勝を挙げた。テンプレート:By1月には代理人から安すぎると反対されるも3年総額1,125万ドルで契約延長した[3]。スプリングトレーニング終盤の3月20日、ウィリー・モー・ペーニャとのトレードでシンシナティ・レッズへ移籍した。

移籍1年目は、アーロン・ハラングとともにレッズ先発投手陣の柱となった。開幕から5連勝を記録し、苦手と公言している打撃では開幕から2試合連続で本塁打を放った[3]。前半戦は9勝6敗で防御率はリーグ5位の3.12を記録し、オールスターゲームに初めて選出された。元チームメイトのペドロ・マルティネスからは「彼が前半戦のサイ・ヤング賞」と評価された[3]。35先発・240.2投球回はリーグ最多、防御率3.29・WHIP1.188はチーム1位、14勝はチーム2位だった。また、オフには日米野球MLB選抜として来日した。

球団は、アローヨとの契約が2年残っていたが、テンプレート:By2月8日に2009年から2年総額2,500万ドル(3年目は球団オプション)で契約延長[4]。2007年は、22QS(チーム最多)を記録する安定感があったが、34登板中15試合で味方打線が2点以下に抑えられたため援護に恵まれず[5]、9勝15敗と負け越しに終わった。

テンプレート:Byは自己最多の15勝を記録したが、防御率は前年よりも悪化し、4.77。6月24日のブルージェイズ戦では先発投手としてメジャー史上6人目となる1イニング以下で自責点10以上を記録[6]

テンプレート:By10月31日にFAとなった。

テンプレート:By2月7日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額2350万ドルの2年契約に合意したことが報道され[7]、2月12日に球団が発表した[8]

投球スタイル

足を高く上げる独特のフォームで、時折腕の角度を変えながら投球する。88 - 90mph(約141.6 - 144.8km/h)を計時する速球とチェンジアップなどの変化球を組み合わせて[5]、打たせて取るタイプの投手。配球は巧みで、レッズのジェリー・ナーロン監督(2005年 - 2007年)は「彼のピッチングを見るのは楽しい。彼のように打者の打ち取り方を知っている投手は最近は少なくなってきたからね」[9]とアローヨの投球術を高く評価している。

年度別投手成績

テンプレート:By2 PIT 20 12 0 0 0 2 6 0 0 .250 338 71.2 88 10 36 6 4 50 3 1 61 51 6.40 1.73
テンプレート:By2 24 13 1 0 0 5 7 0 2 .417 390 88.1 99 12 34 6 4 39 4 1 54 50 5.09 1.51
テンプレート:By2 9 4 0 0 0 2 1 0 1 .667 123 27.0 30 1 15 3 0 22 0 0 14 12 4.00 1.67
テンプレート:By2 BOS 6 0 0 0 0 0 0 1 0 ---- 66 17.1 10 0 4 2 1 14 0 0 5 4 2.08 0.81
テンプレート:By2 32 29 0 0 0 10 9 0 0 .526 764 178.2 171 17 47 3 20 142 5 0 99 80 4.03 1.22
テンプレート:By2 35 32 0 0 0 14 10 0 0 .583 878 205.1 213 22 54 3 14 100 5 1 116 103 4.51 1.30
テンプレート:By2 CIN 35 35 3 1 0 14 11 0 0 .560 992 240.2 222 31 64 7 5 184 6 0 98 88 3.29 1.19
テンプレート:By2 34 34 1 0 0 9 15 0 0 .375 921 210.2 232 28 63 6 13 156 4 0 109 99 4.23 1.40
テンプレート:By2 34 34 1 0 0 15 11 0 0 .577 871 200.0 219 29 68 2 6 163 6 0 116 106 4.77 1.44
テンプレート:By2 33 33 3 2 1 15 13 0 0 .536 923 220.1 214 31 65 6 9 127 1 0 101 94 3.84 1.27
テンプレート:By2 33 33 2 0 0 17 10 0 0 .630 880 215.2 188 29 59 5 6 121 1 1 95 93 3.88 1.15
テンプレート:By2 32 32 1 1 1 9 12 0 0 .429 855 199.0 227 46 45 5 6 108 0 0 119 112 5.07 1.37
テンプレート:By2 32 32 1 1 0 12 10 0 0 .545 835 202.0 209 26 35 1 5 129 3 0 86 84 3.74 1.21
テンプレート:By2 32 32 2 1 1 14 12 0 0 .538 823 202.0 199 32 34 2 7 124 1 2 88 85 3.79 1.15
通算:14年 391 355 15 6 3 138 127 1 3 .521 9659 2278.2 2321 314 623 57 100 1479 39 6 1161 1061 4.19 1.29
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰

ミュージシャンとして

ファイル:Bronson Arroyo @ Mohegan Sun.jpg
2008年1月に行われたコンサートでのアローヨ

野球選手としてプレーする傍ら、ミュージシャンとしての顔も持つ。2005年にはアルバム "Covering the Bases" を発表し、デビューミュージシャンランキング2位に入った[10]。また、チームメイトだったリッチ・オーリリアの夫人は歌手で、2006年6月に一緒にチャリティーコンサートなども行っている[3]

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:MLBstats テンプレート:アリゾナ・ダイヤモンドバックス テンプレート:2004 ボストン・レッドソックス

テンプレート:ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 (投手)
  1. 1.0 1.1 阿部寛子 「MLB TALK SHOW ブロンソン・アローヨ[レッドソックス]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、67-69頁。
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 谷口輝世子「ブロンソン・アローヨ[レッズ] ロックスター、シンシナティへ行く」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-9、42 - 44頁
  4. テンプレート:Cite web
  5. 5.0 5.1 LINDY'S, Special to FOXSports.com, "Preview 2008: Cincinnati Reds," FOX Sports on MSN, March 5, 2008. 2008年3月30日閲覧。(2008年2月29日時点のアーカイブ
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. 月刊メジャー・リーグ11月号増刊 イオン日米野球2006公式プログラム』、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08626-11、16-17頁。
  10. テンプレート:Cite book