ピエール・ブヨヤ
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ピエール・ブヨヤ Pierre Buyoya | |||
ファイル:Pierre Buyoya at Chatham House 2013 crop.jpg |
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任期 | 1996年7月25日 – 2003年4月30日 | ||
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第3代大統領 | |||
任期 | 1987年9月9日 – 1993年7月10日 | ||
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初代国民救済軍事委員会議長 | |||
任期 | 1987年9月3日 – 1987年9月9日 | ||
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出生 | テンプレート:生年月日と年齢 テンプレート:BDI、ブルニ県ルトブ | ||
政党 | 民族進歩連合
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ピエール・ブヨヤ(テンプレート:Lang-en、1949年11月14日 - )は、ブルンジの政治家、軍人。
大統領(第3・7代)、国民救済軍事委員会議長を務めた。
概要
ブルニ県ルトブ出身。所属政党はツチの最大政党民族進歩連合 (UPRONA)。ベルギー軍士官学校、王立軍学校を卒業。フランスや西ドイツに軍事留学の経験あり。
少佐時代の1987年、ツチの寡頭による独裁体制を敷いていたジャン=バティスト・バガザ大統領をクーデターで追放し、自ら大統領に就任。同国の初のフツを多数とする内閣を成立させるなどフツ・ツチ両民族の融和に努め、複数政党制を認めた新憲法の採択など民主化にも尽力したが、ツチ強硬派はこれに反発し、2万人ともいわれるフツを虐殺した。ブヨヤは調停委員会を設置したが、両民族の対立は続いた。
1993年6月、同国初の民主選挙でフツでブルンジ民主戦線党員のメルシオル・ンダダイエが当選し、ブヨヤは引退。しかしその後の政変で国内が再び内戦状態に陥ると、1996年7月26日に再びクーデターでブヨヤは政権を握り、混乱を収拾できなかったシルベストル・ンティバントゥンガニャ大統領を失脚させ、暫定大統領に就任した。内戦の激しさは収まったものの、依然として混乱は継続した。1998年6月、ブヨヤは正式大統領となった。
2000年にタンザニアのアルーシャでブルンジ政府、ツチ、フツの各勢力が和平協定に調印し、内戦終結を目指す暫定政府が2001年11月1日、3年の期限で発足。ブヨヤ大統領とドミシアン・ンダイゼイエ(副大統領、フツ)が1年半ずつの任期で大統領を務めることが決定した。1年半の任期を終えたブヨヤは2003年4月30日、大統領職をンダイゼイエに譲り渡した。
関連項目
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