バスケットボール日本リーグ機構
バスケットボール日本リーグ機構(バスケットボールにほんリーグきこう、英語の名称 : "Japan Basketball League Organization", 略称 : JBL)は、国内トップクラスの実業団チームによって開催されるスーパーリーグ(1部)と日本リーグ(2部)を運営していた団体。会長は蒔苗昭三郎。
歴史
1967年、日本バスケットボール協会主催によるバスケットボール日本リーグが発足した。当初は男女共同運営であった。協会主催のリーグ戦時代から男子は熊谷組、日本鉱業、東京海上火災、日立本社、三菱電機、女子は共同石油、シャンソン化粧品といった強豪を育て上げる。
1995年、日本バスケットボールリーグ発足30周年を前に、将来のプロリーグ化を視野に入れた、独立採算方式のリーグ戦のシステムを構築するため、主催統括団体としてバスケットボール日本リーグ機構が設立された。
プロリーグ化への歩み
1996年、日本バスケットボールリーグは発足30周年を迎え、主催統括団体は日本バスケットボール協会からバスケットボール日本リーグ機構に移された。
1998年、女子のリーグ戦はバスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL 一般にはWリーグ)に移管し、男子によるリーグ戦のみとなった。
2000年、1部のリーグの2、3年後のプロ化を前提として、1・2部を「スーパーリーグ」と「日本リーグ」に名称を変更[1]し、ホームタウン制を取り入れた地域密着型運営に着手した。田臥勇太のトヨタ自動車アルバルク入部によるスーパーリーグ参戦時にはマスコミも巻き込むほどの人気だった。ただし新潟アルビレックスなど一部チームを除けば、ホームタウン所在地とは関係ない地域の試合が多く、ホームタウン制は機能していない。
分離主義の台頭
2004年8月、新潟アルビレックスと所沢ブロンコス(現埼玉ブロンコス)は、バスケットボール日本リーグ機構と日本バスケットボール協会を脱退して、プロリーグ「日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)」を結成するという構想を明らかにした。これは2005年4月、日本バスケットボール協会により認められた。
発展的解散
2005年3月、バスケットボール日本リーグ機構は、スーパーリーグを2007年秋にプロリーグ化することを宣言したが、新加入の福岡レッドファルコンズ以外のスーパーリーグ所属企業チームや日本バスケットボール協会の主要役員がプロ化に反対した。
いつごろだろうか、福岡を除くスーパーリーグ所属の7チームと北海道から新加盟チームレラカムイ北海道の全部で8チームで参加し、「日本バスケットボールリーグ」として開幕することが決定した。
2007年5月17日、日本バスケットボールリーグ設立委員会へ承継され発展的解散となる。[2]
JBLという略称
1995年に設立され2007年解散した、バスケットボール日本リーグ機構と、同年設立された日本バスケットボールリーグの略称は共にJBLであるが、異なる団体である。同例はサッカーのJFL(1992-98年まではジャパンフットボールリーグ、1999年以後は日本フットボールリーグ)もある。
参加チーム一覧
- JBLスーパーリーグ及びバスケットボール日本リーグを参照。