ネパールの政党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネパールの政党(ネパールのせいとう)では、ネパールの政党について述べる。
ネパールの政治状況の特徴は有力な三党の他にも小政党が多数存在(議席合計134)することである。2008年4月10日のネパール制憲議会選挙で議席を獲得した政党だけでも25ある。またその離合集散も激しい。共産主義や社会主義を標榜する政党が多く、また、マデシなどの自治権拡大を要求する地域政党も一定の勢力をもっている。共産党は首都圏(特に高学歴者)で圧倒的人気を持つため、カトマンズとパタン (ネパール)の定員を独占することもある。
制憲議会で第一党となったネパール共産党毛沢東主義派は、1996年から2006年まで反政府武装闘争を行なってきたが、2007年からは内閣に閣僚を出し、議会に参加しているものの、依然として武装組織「人民解放軍」を擁している。
党派別議席数
(英語版 Nepalese Constituent Assembly election, 2008より)
内閣指名26議席を含む数字。議席の大きい順ではありません。
- ネパール共産党統一毛沢東主義派 229 (最大野党。選挙時はネパール共産党毛沢東主義派(毛派、マオイスト)であった。選挙後プラチャンダ首相を出し、人民戦線ネパールと合同し、現在の名称となる。プラチャンダ連立政権は2009年5月に崩壊。)
- ネパール会議派 115 (1947年以来の伝統を持つ社会民主主義政党。たびたび政権を担当。最大連立与党。)
- ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派 108 (1991年、「マルクス・レーニン派」と「マルクス主義派」が合同して成立。マダブ・クマル・ネパール首相を出す連立与党。)
- マデシ人権フォーラム54 (マデシ地域政党・過激な社会運動で知られる。連立与党。)
- タライ・マデシ民主党 21 (マデシ地域政党)
- ネパール共産党マルクス・レーニン主義派 9(共産主義政党)
- 友愛党 9 (マデシ地域政党)
- 国民民主党 8 (旧・王党派)
- 人民戦線ネパール 8(共産主義政党、選挙後、毛沢東主義派と合同、統一毛派となる。)
- ネパール共産党ユナイテッド派5 (共産主義政党)
- ネパール労農党 5 (共産主義政党)
- 国民民主党ネパール 4 (唯一の王党派)
- Rastriya Janamorcha 4
- Rastriya Janshakti Party 3
- Sanghiya Loktantrik Rastriya Manch 2
- ネパール友愛党アナンディデヴィ派(Anandidevi) 3 (マデシ地域政党)
- Rastriya Janamukti Party 2
- Nepali Janata Dal 2
- Communist Party of Nepal (Unified) 2 (共産主義政党)
- Dalit Janajati Party 1
- Nepa Rastriya Party 1
- Samajbadi Prajatantrik Janata Party 1
- Chure Bhawar Rastriya Ekta Party 1
- Nepal Loktantrik Samajbadi Dal 1
- Nepal Parivar Dal 1
- Samajbadi Prajatantrik Janata Party, Nepal 1
多数に分裂している共産党
ネパール共産党は離合集散を繰り返し、これまでに多数の党派が存在するので、混同しないよう注意が必要である。
- ネパール共産党 - 1949年9月結党。1961年3月に、ネパール共産党アマティア派とネパール共産党ラヤマジ派に分裂。
- ネパール共産党アマティア派(アマッテャ派) - 1961年3月に分裂した、トゥルシ・ラル・アマティア(トゥルシラル・アマッテャ)率いるグループ。急進的。1994年に、アマティアはネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(ネパール統一共産党)に入党。
- ネパール共産党ラヤマジ派(ライマジ派) - 1961年3月に分裂した、ケシャール・ジュング・ラヤマジ率いるグループ。親国王的、親ソ的。1985年解散。
- ネパール共産党プシュパラル派(プシュパ・ラル派) - 1968年にネパール共産党アマティア派から分裂した、プシュパ・ラル・シュレスタ率いるグループ。後に、ネパール労働者農民党、ムクティ・モルチャ・サルハが分裂している。ネパール共産党マンモハン派と合流し、ネパール共産党マルクス主義派となる。
- ネパール共産党マンモハン派 - 1971年に出獄したマン・モハン・アディカリが結成したグループ。1979年に政党化。ネパール共産党統一会議派を経て、1982年にネパール共産党マンモハン派に改名。インド共産党マルクス主義派と親密。1987年に、ネパール共産党プシュパラル派と合流し、ネパール共産党マルクス主義派を結党。
- ネパール共産党マルクス主義派(CPN(M)) - 1987年に、サハナ・プラダン率いるネパール共産党プシュパラル派とマン・モハン・アディカリ率いるネパール共産党マンモハン派が合流し結党。1991年に、ネパール共産党マルクス・レーニン主義派と合流し、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党)を結党。旧指導部の一部が分裂し、ネパール共産党マルクス主義派を再び結成するが、後にネパール共産党ユナイテッド派と合流し、ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派となる。
- ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(CPN(ML)) - 1978年12月26日に、全ネパール革命的調整委員会(マルクス・レーニン主義)(ANCRCC(ML))により結党。1991年に、ネパール共産党マルクス主義派と合流し、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党)を結党。1998年3月5日に、統一共産党から分派し、再び結党。2002年2月15日に統一共産党に再合流するが、チャンドラ・プラカシュ・マイナリら合流不参加者により存続。統一左翼戦線参加政党。
- ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党、CPN(UML)) - 1991年に、ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合流し結党。1998年にネパール共産党マルクス・レーニン主義派が分派するが、2002年2月15日に再合流。
- ネパール共産党バーマ派
- ネパール共産党マナンダール派
- ネパール共産党ユナイテッド派(CPN(United)) - ネパール共産党ユナイテッド派はネパール共産党マルクス主義派と合流し、ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派となる。しかし、2007年に一部が分派し、再びネパール共産党ユナイテッド派を結党。
- ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派 - ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党ユナイテッド派が合流して結党。2007年に一部が分派し、再びネパール共産党ユナイテッド派を結党。統一左翼戦線参加政党。
- ネパール共産党第四会議派 - 1971年に出獄したモハンビクラム・シンが、1974年9月に結党。後に分裂し、モハンビクラム・シンがネパール共産党マサル派を結党。1990年11月に、ネパール共産党マシャル派と合流し、ネパール共産党統一センター派を結党。
- ネパール共産党マサル派(CPN-Masal) - 1983年11月に、ネパール共産党第四会議派からモハン・ビクラム・シンのグループが分裂して結党。1985年に、ネパール共産党マシャル派が分裂。2002年に、ネパール共産党統一センター派のニルマル・ラマのグループと合流し、ネパール共産党統一センター・マサル派となる。
- ネパール共産党マシャル派(CPN-Mashal) - 1985年に、ネパール共産党マサル派から分裂して結党。1990年11月に、ネパール共産党第四会議派と合流し、ネパール共産党統一センター派(公然組織は統一人民戦線ネパール)を結党。
- ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ) - 1990年11月に、ネパール共産党第四会議派とネパール共産党マシャル派が合流し結党。公然組織は、統一人民戦線ネパール。1994年11月に、武装闘争に消極的なニルマル・ラマ率いるグループと武装闘争に積極的なプラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル)率いるグループに分裂。ニルマル・ラマ率いるグループは、2002年にネパール共産党マサル派と合流し、ネパール共産党統一センター・マサル派を結党。プラチャンダ率いるグループは、1995年3月に、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)と改名。
- ネパール共産党統一センター・マサル派 - 2002年に、ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ)のニルマル・ラマ率いるグループとネパール共産党マサル派が合流し結党。後に3派に分裂。
- ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト) - 1995年3月に、ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ)のプラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル)率いるグループが改名。長らく武装闘争を続けたが、現在は第一党にして野党。
- ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義派
- ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義センター - ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義派とNepal Samyabadi Party (Marksbadi-Leninbadi-Maobadi)が合流して結党。統一左翼戦線参加政党。