ドラヴィダ人
テンプレート:出典の明記 ドラヴィダ人(達羅毗荼人、Dravidian)は、古代からインドに定住していたと考えられる民族群。 現在では主に、インド特に南インド四州すなわちタミル・ナードゥ州、ケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州を中心として居住し、マレーシア、シンガポール、セーシェル、マダガスカルなどにも居住している。
起源論争
インダス文明はドラヴィダ人によるものだとされているが、これは同文明の遺跡から発見された未解読のインダス文字により記された言語が、マヤ文字で有名であるテンプレート:仮リンクらソ連の研究者によってドラヴィダ語族の言語である可能性が高いことが指摘された為である。
これをきっかけにインダス文字の研究では、Iravatham Mahadevanがドラヴィダ語仮説(Dravidian hypothesis, 南インドのドラヴィダ系の言語)を提唱し、Shikaripura Ranganatha Raoはドラヴィダ語仮説に反対していた。これらの対立にはテンプレート:仮リンクの政治的な側面からの影響もあった。
その後、ワシントン大学のRajesh P. N. Raoはドラヴィダ人仮説への有力な反例を示し、フィンランドの研究者テンプレート:仮リンクが支持し(ただし、「この研究を有益だと述べたが、文字の意味的理解をこれまでより進めるものではないと述べた。サンプルが少なすぎて、仮説を検証することができないという障害は変わらない」という)、研究は振り出しに戻っている[1]。
定義の多重性
ドラヴィダ人という呼称については、言語学での分類に用いられるドラヴィダ語族の概念によって定義する人々もいる。ドラヴィダ人の定義としては、ドラヴィダ語族に属するタミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語、トゥル語、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンクなどの言語を母語として使用する人々、という言語学的側面もある。
また、インダス文明の担い手であり出アフリカ直後の時代からインドに居住し、早い時期に農耕・牧畜を始めていたと考えられている。アーリア人の移動が始まった後は、時代と共に同化していった。
また、ドラヴィダ人はアーリア人とは外見が異なり、アーリア人よりも一般的に肌の色が黒く背が低いが手足が長い、ウェーブがかった髪などの特徴があり、DNAの観点からは古モンゴロイドに分類されるテンプレート:要出典。 遺伝学が未発達な以前は、オーストラリアのアボリジニやパプアニューギニアの人々、スリランカのヴェッダ族と同じ人種、オーストラロイドまたはヴェダロイドに分類されていたこともある。
さらに、テンプレート:仮リンクが入る前から存在した独自のサンガム文学・テンプレート:仮リンクを保持し、ムルガン神信仰(後にスカンダや韋駄天に発展したといわれる)などの宗教や建築、音楽、道徳観、食生活などでも独自のものを持っている、という文化的な側面が挙げられる。 このような様々な側面が複雑に重なり合い繋がっているのが、ドラヴィダ人という概念である。また、タミル人という概念があり、主にタミル・ナードゥ州出身でタミル語を母語としその文化を担う人々を指すが、タミル(தமிழ்;Tamil)という語はドラヴィダ(திராவிட;サンスクリット語 द्रविड, द्रमिल, द्राविड;Dravida)という語と語源が関係している可能性が高い。このことから、タミル人をドラヴィダ人の代表、あるいはドラヴィダ人そのものと考える傾向が、タミル・ナードゥ州を中心に展開している政治運動であるテンプレート:仮リンクなどにおいて存在している。
略史
- 紀元前53000年頃、アフリカ東岸からインド南西部に移住する。 さらに北、東へと広がって行く。
- 紀元前2600年頃、インダス川流域(現在のパキスタン)にインダス文明を形成する。複数の都市よりなる文明である。
- 紀元前1800年頃から、紀元前1500年頃にかけてインダス文明の都市は放棄される。気候の変化が理由だと言われる。
- 紀元前1500年頃から、イラン高原からアーリア人のインド北西部への移住が始まる。
- 北部支派:インド西部のオリッサ、ベンガル
- 中部支派:インド中部のマディヤ・プラデーシュ
- 南部支派:インド南部のデカン高原
- 紀元前1300年頃から、アーリア人は一部地域の一部のドラヴィダ人を支配し、階級制度のカースト制を作り出し、アーリア人は司祭階級のブラフミンと、王族・貴族のクシャトリア、一般市民のヴァイシャを独占し、ドラヴィタ系の民族は奴隷階級のシュードラに封じ込められたとされていた。が、近年の研究ではアーリア人・ドラヴィダ人共に様々な階級に分かれていた事が発覚した。
- 紀元前1000年頃から、アーリア人のガンジス川流域への移住と共に、ドラヴィダ系民族との混血が始まる。アーリア人の認識は人種ではなく、言語や宗教によってなされるようになる。
- 現在ドラヴィダ系の人々はインド全域に居住しているが、古くからの文化を保持する民族は南インドを中心に居住している。
- メソポタミアのシュメール文明との関連性も指摘されている。ドラヴィダ語とシュメール語に共通性が見られるといった議論がインドではなされており、ドラヴィダ人はメソポタミア地方から移住したとの説も存在している。
脚注
- ↑ 未解読のインダス文字を、人工知能で解析 (WIRED.jp)