インダス文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インダス文字(インダスもじ)とは、インダス文明のMature Harappan期(紀元前2600年-紀元前1900年)にハラッパーやモヘンジョダロなどの文明の中心都市で使われた象形文字である。インダス文字は現在約400文字が発見されているが、テキストが印章のような短文がほとんどで、ロゼッタ・ストーンのような2言語以上の併記がないのでテンプレート:仮リンクの解読が難航している。
1930年代から60年代初頭にかけての研究は、ラールという研究者が右から読むことを証明したほかは、目立った成果がなかった。1960年代にマヤ文字の解読を著しく前進させたことでも知られるテンプレート:仮リンクを中心とするソ連の研究者グループと、テンプレート:仮リンクを中心とするフィンランドの研究者グループが、解読にコンピューターを導入してから、足がかりが築かれ始めた。クノロゾフらによると、
- 文中の語順が一定している
- 修飾語が被修飾語の前に置かれること、すなわち「青い・空」の順であって「空・青い」の順ではない
- 名詞の前に置かれる名詞は形容詞として機能し、その際、接尾辞の挿入を必要としない
- 数詞は名詞の前に直接接合され、複数語尾を必要としない
- 接尾辞のみが用いられ、接頭辞は用いられない
- 二つ以上の接尾辞の結合が可能である
などの性格が明らかにされた。
これらの文法的特徴から、Iravatham Mahadevanがドラヴィダ語仮説(Dravidian hypothesis, 南インドのドラヴィダ系の言語)を提唱している。Shikaripura Ranganatha Raoはドラヴィダ語仮説に反対している。
David McAlpinらは、インダス文字が原エラム文字と非常によく似ていると指摘している[1]。 イギリスの学者G.R. HunterやRaymond Allchinなどが主張している別の説によれば、おそらくインダス文字を祖先としてブラーフミー文字が全く独自に発達した。
脚注
- ↑ David McAlpin: "Linguistic prehistory: the Dravidian situation", in Madhav M. Deshpande and Peter Edwin Hook: Aryan and Non-Aryan in India, p.175-189