トルコの国旗
概要
「新月旗」もしくは「月星章旗」(テンプレート:Lang-tr)と呼ばれる。元はタンジマートの改革により1844年に公式に定められたオスマン帝国の国旗(1844-1923)であり、ほぼ同じデザインである。1844年に公式国旗を採用するまで、オスマン帝国には単一の国旗というものが存在しなかった。それまではオスマン帝国旗の他に、カリフ旗やスルタン旗や戦争旗や海軍旗や市民旗など、用途別に様々な旗が用いられていた(それらは公式国旗制定後も使用され続けている)。故に「新月旗」もしくは「月星章旗」は複雑な起源を持つ。
現在この三日月と星の組み合わせはイスラム教のシンボルとされるが、小アジアではイスラム教の普及以前から使用されていたとされる。この三日月と星のシンボルは、その後のオスマン帝国の旧領土、イスラム教またはトルコに関連する国の国旗などで多く見られる。
この赤地の旗はトルコ革命でも重要なシンボルとなった。
オスマン帝国旗の変遷
- Flag of the Kayihan Khanate (c. 1326).svg
カイ・ハーン(Kayihan)汗国旗(c. 1326)
- Flag of the Ottoman Sultanate (1299-1453).svg
オスマン帝国旗(1383–1453)
- Flag of the Ottoman Empire (1453-1517).svg
オスマン帝国旗(1453–1517)
- Flag of the Ottoman Empire (1517-1844).svg
オスマン帝国旗(1517–1793)
- Flag of the Ottoman Empire (1517-1844).svg
オスマン帝国旗(1793–1844)
- Ottoman flag.svg
オスマン帝国旗(1844–1923)
オスマン・カリフ旗の変遷
- Flag of the Ottoman Caliphate (1793–1844).svg
オスマン・カリフ旗(1793–1844)
オスマン海軍旗の変遷
- Flag of the Ottoman Admiral (1453-1793).svg
オスマン海軍大将(Admiral)旗(1453–1793)
- Naval Ensign of the Ottoman Empire (1453–1793).svg
オスマン海軍旗(1453–1793)
- Naval Ensign of the Ottoman Empire (1793–1844).svg
オスマン海軍旗(1793–1844)
- Ottoman Naval Flag.svg
オスマン海軍旗(1844–1923)
オスマン帝国戦争旗の変遷
- War Flag of the Ottoman Empire (c. 1500–1793).svg
オスマン帝国戦争旗(c. 1500–1793)
- War Flag of the Ottoman Empire.svg
オスマン帝国戦争旗(1793–1923)
その他
- Imperial standard of the Ottoman Sultan.svg
オスマン・スルタン帝国旗
- Naval standard of the Ottoman Sultan.svg
オスマン・スルタン海軍旗
- Imperial Standard of the Caliph of the Faithful (1922–1924).svg
オスマン・カリフ「アブデュルメジト2世」帝国旗(1922-1924)
- Ottoman Civic & Merchant Flag 1793-1923.svg
オスマン帝国市民旗(1793–1923)
伝説
この国旗のデザインについては様々な伝説がある。
- 1389年のコソボの戦いで流されたおびただしい血の海に、三日月と水星が映って見えたとされ、それをスルタン・ムラト1世が国旗とした。
- オスマン1世の夢の中で彼の胸から出てきた三日月と星が拡大し、コンスタンティノープルの陥落の前兆を知らせた。
- 1453年コンスタンティノープルの陥落の夜にメフメト2世が三日月と星を夜空に見た。
- 最も信じられている説としては、トルコ革命の指導者、初代大統領ケマル・アタテュルクがトルコ革命での勝利の夜に戦場を歩いていて、サカルヤの岩山で流された血の海に、三日月と星が映って見えたとされる。
- またビザンティン帝国時代にさかのぼるという説もあり、三日月と星は古代ギリシャの都市ビュザンティオン(ビザンチウム、その後のコンスタンチノープル、イスタンブル)のシンボルとして使われており、それがオスマン帝国のシンボルとして採用されたとされる。三日月はギリシャ神話での狩猟の女神アルテミスのシンボルで、星は聖母マリアを表す。