デヴィッド・フィンチャー

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テンプレート:ActorActress デヴィッド・フィンチャーテンプレート:En, 1962年8月28日 - )は、アメリカ合衆国映画監督コロラド州デンバー市出身。

フィンチャーによる作品はどれも色調を抑えた暗い画づくりが特徴。嫌いな色はピンク。

略歴

1962年『ライフ』誌の記者であった父親のこどもとして生まれ、カリフォルニア州マリン郡で育つ。左目の視力が弱く、オッドアイでもあり、両目の色が異なっている[1]

10代の時にオレゴン州に移り、現地の高校を卒業。18歳で8mmカメラを用いて映画製作を始める。

1980年ILMアニメーターとして働きはじめ、1984年まで所属した。

1986年ビデオ製作会社「Propaganda Films」を設立。マドンナジョージ・マイケルエアロスミスローリング・ストーンズなどのミュージックビデオや、数多くのCMを手掛けた。

1992年、『エイリアン3』で映画監督デビュー。初監督作品としては史上最高の製作費で作られたが、ストーリーがあまりにも暗く、興行的にも内容的にも失敗作とされた。また出演者のシガニー・ウィーバーマイケル・ビーンとのトラブルが絶えず、ウィーバーからは「アンタこそエイリアンよ!」と言われ、ビーンからは肖像権問題で危うく訴えられそうになり、前作以上の出演料を払うことになるなど、デビューは華々しいものではなかった。

1995年、『セブン』、『ファイト・クラブ』の成功により、フィンチャーは一躍ヒットメイカーとして注目されるようになる。

ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、『ソーシャル・ネットワーク』ではアカデミー監督賞にノミネートされた。

作品

映画

TVシリーズ

製作総指揮作品を務めたTVドラマ。シーズン1の第1・2話では監督も兼任。

ミュージック・ビデオ

受賞・ノミネート

部門 作品名 結果
アカデミー賞 2008年 監督賞 ベンジャミン・バトン 数奇な人生 テンプレート:Nom
2010年 ソーシャル・ネットワーク テンプレート:Nom
英国アカデミー賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Nom
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
ゴールデングローブ賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Nom
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
放送映画批評家協会賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Nom
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Won
2010年 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
サターン賞 1992年 監督賞 エイリアン3 テンプレート:Nom
1995年 セブン テンプレート:Nom
2008年 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Nom
全米映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
ニューヨーク映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
ロサンゼルス映画批評家協会賞 2010年 監督賞 『ソーシャル・ネットワーク』 テンプレート:Won
バンクーバー映画批評家協会賞 2008年 監督賞 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 テンプレート:Won

出典

テンプレート:Reflist

外部リンク

Interviews


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  1. 「セブン」のオーディオコメンタリーの本人談