デヴィッド・リンチ

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テンプレート:ActorActress デヴィッド・キース・リンチDavid Keith Lynch, 1946年1月20日 - )は、アメリカ合衆国モンタナ州出身の映画監督脚本家プロデューサーミュージシャンアーティスト俳優

低予算映画『ブルーベルベット』で有名となり、「カルトの帝王」と呼ばれることもある。

生い立ち

1946年、モンタナ州ミズーリで農務省研究員の父のもとに生まれる。生後2ヶ月でアイダホ州サンドポイント、2歳でワシントン州スポケーンに引っ越し、その後もノースカロライナ州ダーラムアイダホ州ボイジー、バージニア州アレクサンドリアと引っ越しを繰り返す。少年期はボーイスカウトに所属し、最高位である「イーグルスカウト」まで昇格した。

友人の父がプロの画家だったため絵画やドローイングに興味を持ち、ワシントン美術大学、ボストン美術館付属美術学校に通う。このときJ・ガイルズ・バンドのピーター・ウルフとルームメイトだった。しかし「ここには何も触発されるものがない」と、後に俳優になるジャック・フィスクと共に欧州留学を計画する。

オスカー・ココシュカのもとで絵画を学ぼうとオーストリアへ渡ったが、街があまりにも綺麗で自身の中での創作意欲が萎えてしまい、3年間滞在する予定であったが、わずか15日間でアメリカへ帰国することになる[1]

帰国するとフィラデルフィアに移り、フィスクとともに米国最古の芸術学校であるペンシルベニア芸術科学アカデミーに入学。1967年、ここで知り合った妻ペギーが長女ジェニファーを妊娠し、この経験が後にデビュー作に結実する。周囲は鉄道、工場など極めて悪い条件である、レンガ張りで何部屋もある一軒屋をわずか3000ドルほどで購入する。治安の悪さをインスピレーションの一部として、地下室で絵画や映画制作に没頭する。また収入を得るためエングレービングのプリントを始めた。

キャリア

1967年、最初の短編映画『Six Men Getting Sick (Six Times) 』を制作。翌年妻ペギーをモチーフに、アニメーションと実写を合わせた実験的な4分の短編『THE ALPHABET』を作り、アメリカン・フィルム・インスティチュートの奨学金を得、ロサンゼルスに移る。

1971年に「AFI Conservatory」に入学し、1972年から4年の歳月をかけてカルト映画として有名になる『イレイザーヘッド』を自主制作。1976年に長編映画監督としてデビューする。制作中の1974年、映画のストーリーと同じように、妻ペギーがリンチのもとを去った。これを含めてリンチは3回の離婚と4回の結婚を経験している。リンチはこの作品をカンヌ国際映画祭に送ろうと考えたが周囲に止められ、ニューヨーク映画祭でも上映を拒否された。そのため深夜上映のようなアンダーグラウンドな形で上映され、ロッキー・ホラー・ショーエル・トポピンク・フラミンゴといった映画とともに、カルト的な人気を博した。

1980年の『エレファント・マン』ではアカデミー作品賞を含む8部門にノミネートされ、一躍知名度を上げた。『イレイザーヘッド』のファンだったジョージ・ルーカスから『スター・ウォーズ』の監督のオファーが来たが、これを断った。

1986年、『ブルーベルベット』で全米批評家協会賞などを受賞する。主演女優のイザベラ・ロッセリーニとの交際が二度目の離婚のきっかけとなる。

1990年、『ワイルド・アット・ハート』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。

2001年、『マルホランド・ドライブ』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。

2006年、第63回ヴェネツィア国際映画祭にて映画人として長年にわたり多くの優れた作品を生み続けていることを称える栄誉金獅子賞を受賞。

2007年にはカンヌ国際映画祭の第60回目を記念して制作されたオム二バス映画『それぞれのシネマ』のうちの一つ『アブサーダ』を製作。また同年には現代美術家としてカルティエ現代美術財団にて個展を開催した。

2011年1月にミュージシャンとしてシングル『Good Day Today/I Know』でソロ・デビュー[2]。同年11月にはデビューアルバム『クレイジー・クラウン・タイム』をプレイ・イット・アゲイン・サムよりリリースした。

2012年現在、リンチを追ったドキュメンタリー映画三部作『LYNCH three project』の三作目の資金調達のため、ファンから製作費の一部を募る活動が行われている。なお本作でリンチ自身は製作には直接関与していない。

活動

映画製作のほか、『Dumbland』などのアニメーションも手掛けている。

映画製作に関わっていない時間は、予算が関係ないという理由で絵を描いたりしている[3]

影響

絵画においてはフランシス・ベーコン[4]、映画においてはフィラデルフィアの町そのものに最も影響を受けた[5]

「アメリカ映画より欧州映画の方により大きな影響を受けた」とたびたび述べている。好きな映画には『サンセット大通り』と『ロリータ』を挙げている。

作風

  • シュールレアリズムをこよなく愛す。
  • 1950年代のアメリカを愛しており、作品にはたびたび何らかの形でフィフティーズを象徴するもの(セットなどの美術、音楽など)が使用される。
  • アメリカの片田舎を舞台とする作品が多い。

作品

長編映画

短編映画

  • 6・メン・ゲッティング・シック - SIX MEN GETTING SICK(1967年、監督・製作・脚本)
  • アブサード・インカウンター・ウィズ・フィアー - Absurd Encounter with Fear (1967年)
  • フィクティシャス・アナシン・コマーシャル - Fictitious Anacin Commercial (1967年)
  • アルファベット - THE ALPHABET (1968年、監督・製作・脚本)
  • グランドマザー - THE GRANDMOTHER (1970年、監督・製作・脚本)
  • アンプティー - The Amputee (1974)
  • カウボーイ・アンド・ザ・フレンチマン - The Cowboy and the Frenchman (1988年)
    パリ・ストーリー Les Francais Vus Par...の一作。ベルナー・ヘルツォークアンジェイ・ワイダルイジ・コメンチーニジャン=リュック・ゴダールとのオムニバス映画。
  • インダストリアル・シンフォニー・No.1:ザ・ドリーム・オブ・ザ・ブロークン・ハーティッド - Industrial Symphony No.1: The Dream of the Broken Hearted (1990年)
  • プレモニションズ・フォローイング・アン・イビル・ディード - Premonitions Following an Evil Deed (1995年)
  • ダークンド・ルーム - Darkened Room (2002年)
  • バレリーナ - Ballerina (2006年)
  • ボート - Boat (2007年)
  • バグ・クロールズ - Bug Crawls (2007年)
  • アブサーダ - Absurda (2007年)  ※それぞれのシネマの中の一編
  • シザース - Scissors (2008年)

そのほかの関連映画・ドキュメンタリー

テレビ作品・そのほか

  • パリ・ストーリー - LES FRANCAIS VUS PAR... (1988年)
  • ツイン・ピークス - Twin Peaks (1989年、監督・製作総指揮・脚本)※パイロット版
  • ツイン・ピークス - Twin Peaks (1990-1991年、監督・製作総指揮・企画・出演)※テレビドラマシリーズ
  • オン・ジ・エアー - On The Air (1991年、監督・製作総指揮・脚本)※テレビドラマシリーズ
  • キング・オブ・アド - Kings Of Ads (1991年、監督))※オムニバスのCM集
  • デビッド・リンチの ホテル・ルーム - Hotel Room (3話) (1993年)
  • ナイト・ピープル - Pretty As A Picture: The Art Of David Lynch (1997年、出演)
  • ラビッツ - Rabbits (2002年)※この作品の一部が『インランド・エンパイア』で再利用されている。
  • ダムランド バカの国 - Dumbland (2002年)
  • アウト・ヨンダー - Out Yonder (200?年)
  • ショット・イン・ザ・ブラック・オブ・ザ・ヘッド - Shot in the Back of the Head (2009、モービーのPV)
  • インタビュー・プロジェクト - Interview Project (2009年)
  • ケイムバック・ホーンテド - came back haunted (2013年 nine inch nailsのpv)

ミュージック・ビデオ

音楽作品

  • BlueBob with John Neff (2001年)
  • Ghost of Love EP (2007年)
  • The Air is on Fire: Soundscape (2007年)
  • Polish Night Music with Marek Żebrowski (2008年)
  • ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル - Dark Night of the Soul (2010年)
  • This Train with Chrysta Bell (2011年)
  • GOOD DAY TODAY/I KNOW (2011年)
  • クレイジー・クラウン・タイム - Crazy Clown Time (2011年)
  • The Big Dream (2013年)

著書

  • 『大きな魚をつかまえよう リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン』(四月社/2012)

エピソード

  • 1973年7月に、Transcendental Meditation(超越瞑想・TM)を学び、一日二回の瞑想を欠かさず行っている。
  • アメリカンスピリットを愛煙している。
  • 熱烈なコーヒー嗜好者であり、自ら豆を有機栽培して、それを自身のホームページで販売している。
  • 1970年代の半ばから1980年代前半まで、ほぼ毎日ビッグボーイミルクセーキを食べながら思考していたという。
  • 娘の一人ジェニファー・チェンバース・リンチの左腕のタトゥーは『HOLLYWOOD ALTERNATIVE』という文字であり、右腕のタトゥーの一部は漢字の『生現』という文字である。
  • ローラ・ダーンが初めてリンチに会ったとき、リンチは人差し指を立て「トイレに行ってくる!」と言い、そのまま消えてしまったという[6]

脚注

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外部リンク

テンプレート:Sisterlinks

テンプレート:デヴィッド・リンチ監督作品 テンプレート:カンヌ国際映画祭監督賞 2000-2019

テンプレート:Normdaten
  1. オーストリアから帰国したのは、「街が綺麗すぎるから」という以外に「マクドナルドが少なすぎるから」というものもある(『ワイルド・アット・ハート』劇場用パンフレットより)。
  2. デヴィッド・リンチがエレクトロ・ポップでソロ・デビューoops! 2010年11月30日
  3. 『ナイト・ピープル』より。
  4. NHK『日曜美術館 恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン』(2013年5月3日)
  5. 『マルホランドドライブ』劇場用パンフレットより。
  6. 『ブルーベルベット』DVD特典映像のローラ・ダーンのインタビューより。