チュンソフト
テンプレート:Infobox 株式会社チュンソフト(CHUNSOFT Co., Ltd.)は、かつて存在した日本のコンピュータゲームメーカー。現在のスパイク・チュンソフトの前身。
目次
概要
1984年にゲームクリエイターの中村光一が電気通信大学在学中に設立したゲーム会社。中村の友人らが株主となり、調布市の賃貸マンションの1室で社員5人により活動を開始した。第1作は1985年のPC-6001版『ドアドアmkII』だった[1][2]。
会社の名前は、中村光一の「中」と麻雀の「中」(チュン)に由来している[2]。
ファミコンブームの到来によって、ファミコン版『ドアドア』のヒットで経営を軌道に載せることに成功し[1]、以後、開発した家庭用ゲーム機のゲームソフトをエニックス(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)から発売していた。ドラゴンクエストシリーズの生みの親、堀井雄二に依頼され、『ドラゴンクエストI』から『V』までのプログラミングを担当している。
2005年4月21日付で、携帯電話コンテンツなどを手がけるドワンゴが買収し、同社の子会社となった。2010年8月には同じくドワンゴ系列となっていた旧T&E SOFTと同所に名古屋オフィス開設。
2012年4月1日、チュンソフトを存続会社にして同じドワンゴ傘下のスパイクを吸収合併し、株式会社スパイク・チュンソフトに社名を変更した。
会社の立ち位置の遍歴
チュンソフトは過去から現在において、数回ほどパブリッシャー(出版元)とデベロッパー(開発元)という二つのスタンスを行き来してきた。以下にその遍歴を記す。
第1次デベロッパー時代
創業~1992年の弟切草発売前まで
第1次パブリッシャー時代
1992年に『弟切草』で自社ブランドデビューを果たし、ゲームパブリッシャーの仲間入りを果たす。
『弟切草』はアドベンチャーゲームに『サウンドノベル』という新ジャンルを築いた。その後、ローグライクゲームを発展させた『不思議のダンジョン』シリーズを送り出し、日本市場においてマイナーだった同ジャンルを定着させる。この2シリーズはチュンソフトを代表するゲームとなり、後に他社で開発された近似作品においても総称として用いられるなど、大きな成果を残している。
第2次デベロッパー時代
2006年よりセガと協力してソフトを送り出す「セガ×チュンソフトプロジェクト」を開始し、2008年末まで続いた。この時代から2010年春頃まで発売していたソフトは、同じくドワンゴ傘下である株式会社スパイクの名義になっていた[3]。
第2次パブリッシャー時代
2010年8月にパブリッシャー復帰を発表。これ以降発売されるソフトは原則としてチュンソフトが開発したソフトはチュンソフトが発売元となる[4]。パブリッシャー復帰後のファーストリリース作品は『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』になった。
代表作
- ドアドア(ファミコン版)
- ポートピア連続殺人事件(ファミコン版)
- ドラゴンクエストシリーズ(I - V)
- ファミコンジャンプII 最強の7人(バンダイ発売) 共同開発:アクアマリン
- テトリス2+ボンブリス(ファミコン版)
- サウンドノベルシリーズ
- 不思議のダンジョンシリーズ
- シレン・モンスターズ ネットサル
- ホームランド
- 3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!
- 極限脱出 9時間9人9の扉
- TRICK×LOGIC
- KOWA-OTO(iPhone版)
- ぞんびだいすき
- パワフルゴルフ - ゴルフパートの開発
- Wiiリモコンプラス バラエティ - 開発にかかわった複数会社のうち1社として参加
- 極限脱出ADV 善人シボウデス
出典
- ↑ 1.0 1.1 多摩豊『テレビゲームの神々 RPGを創った男たちの理想と夢』光栄、1994年、pp.104.
- ↑ 2.0 2.1 志田英邦『ゲーム・マエストロ VOL.2 プロデューサー/ディレクター編(2)』毎日コミュニケーションズ、2000年、p.16。中村光一インタビュー。
- ↑ 『ポケモン不思議のダンジョン』シリーズは任天堂が販売元
- ↑ 『TRICK×LOGIC』シーズン2など、一部例外は有り