ダーバン
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テンプレート:Pathnav テンプレート:世界の市 ダーバン(ズールー語:eThekwini、テンプレート:Lang-en)は、南アフリカ共和国クワズール・ナタール州エテクウィニ都市圏にある地区。2000年までは単独の市であった。ブルームフォンテンから830km、ヨハネスブルグから795kmの所にある。南部アフリカ有数の世界都市である。
概要
ヨハネスブルグに次ぐ人口[1] の都市であり、重要な外港である。2010年の都市的地域の人口では322万人であり、同国ではヨハネスブルグに次ぐ第2位である[2]。ズールー族が多く、英語よりもズールー語が話されている。またインド系移民の人口が極めて多く、約80万人ほどいるといわれている。
古くから高級リゾート地としても知られており、海沿いには大型のリゾートホテルが立ち並ぶ。このためスポーツ施設やインフラが整っており、毎年のようにラグビーや水泳などスポーツの世界選手権や、国連の各機関が開催する国際会議の開催地として選ばれている。2010年にはFIFAワールドカップの会場の一つになった。
なお、他の南アフリカの都市同様、治安の急速な悪化は問題となっている。近年では、浜辺で散策中の観光客が襲撃されるなど、リゾート地として致命的な事件も発生しており、観光地として大きな課題を抱えている。
歴史
- 1497年 バスコ・ダ・ガマがクリスマスの日に、現在のダーバン港付近の断虔を発見する。
- 1824年 ズールー王国の王シャカ・ズールーより領土を獲得。イギリスから移民が入植、港の開発が始まる。
- 1835年 ポート・ナタールといわれたが、当時のケープ植民地総督テンプレート:仮リンク卿にちなんで, ダーバンと改称される。
- 1842年 オランダ系のボーア人に一時占領される。
- 1850年代に鉄道が建設され、港湾が拡張されて以後、商工業都市として急速に発展。
- 1908年 南アフリカ連邦を結成するための全国会議の開催地となった。
- Gandhi Durban 1914.jpg
ダーバン滞在中のガンジー
- DurbanSign1989.jpg
アパルトヘイト体制下で設置されたアフリカ系のビーチ立ち入りを禁止する掲示板
気候
政治
経済
- Durban FruitMarket.jpg
ダーバン青果市場
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ダウンタウン
自動車の製造が国内首位。トヨタ自動車の工場があり、地域経済に大きな貢献をしている。
文化
交通
道路
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ダーバンを走行するミニバス
鉄道
航空
- キング・シャカ国際空港:2010年5月1日に開港。
- KSIA-Passenger-Terminal.jpg
キング・シャカ国際空港
- Durban harbor.jpg
ダーバン港
観光
友好都市
- テンプレート:Flagicon アレクサンドリア、エジプト
- テンプレート:Flagicon バクー、アゼルバイジャン
- テンプレート:Flagicon シカゴ、アメリカ合衆国
- テンプレート:Flagicon リーズ、イギリス
- テンプレート:Flagicon ロッテルダム、オランダ
- テンプレート:Flagicon 広州市、中国
- テンプレート:Flagicon ナント、フランス
- テンプレート:Flagicon アントウェルペン、ベルギー
- テンプレート:Flagicon ブレーメン、ドイツ
- テンプレート:Flagicon リオデジャネイロ、ブラジル
- テンプレート:Flagicon en:Le Port, Réunion、フランス
- テンプレート:Flagicon 大田市、大韓民国
- テンプレート:Flagicon ブラワヨ、ジンバブエ
- テンプレート:Flagicon ニューオーリンズ、アメリカ合衆国
- テンプレート:Flagicon オラン、アルジェリア
- テンプレート:Flagicon エイラート、イスラエル
- テンプレート:Flagicon マラカイボ、ベネズエラ
- テンプレート:Flagicon 高雄市、中華民国