ソビエツキー・ソユーズ級戦艦
ソビエツキー・ソユーズ級戦艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 戦列艦(超弩級戦艦) |
艦名 | ソビエト連邦とソビエト連邦構成共和国の国名 |
前級 | 改インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦 (デモクラーチヤ) |
次級 | 27 設計戦艦 24 設計戦艦 |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:59,150トン 常備:62,536トン 満載:64,121トン |
全長 | 271.5m |
全幅 | 38.92m |
吃水 | 10.24m |
機関 | 形式不明重油専焼高圧型水管缶12基+BBC式タービン発電機&モーター駆動3基3軸推進 |
最大出力 | 210,000hp(公試時:231,000hpの予定) |
最大速力 | 28ノット(公試時:30ノットの予定) |
航続距離 | 14.5ノット/5,950海里 |
乗員 | 1,924名 |
兵装 | 1937年型 40.6cm(50口径)三連装砲3基 1938年型 15.2cm(57口径)連装速射砲6基 1940年型 10cm(56口径)連装高角砲6基 1941年型 37mm(68口径)機関砲|四連装高角機関砲]]8基 |
装甲 | 舷側:220mm~380mm~420mm(水線部、10度傾斜)、155~25mm(水線下装甲) 甲板:25mm(上甲板)、100mm~170mm(主甲板)、50mm(下甲板) 主砲塔:495mm(前盾)、230mm(側盾)、410mm(後盾)、230mm(天蓋) 主砲バーベット部:425mm(主甲板)、50mm(下甲板) 副砲塔:100mm(前盾)、65mm(側盾)、-mm(後盾)、100mm(天蓋) 副砲バーベット部:100mm(主甲板)、65mm(下甲板) 司令塔:425mm(前盾)、425mm(側盾)、-mm(後盾)、250mm(天蓋) |
航空兵装 | 水上機4機搭載予定 |
ソビエツキー・ソユーズ級戦艦(ソビエツキー・ソユーズきゅうせんかん)は、ソビエト連邦(以下、ソ連)で計画されていた戦艦のテンプレート:仮リンクである。
ソビエト連邦海軍および労農赤色海軍(以下、ソ連海軍)では戦列艦に分類され、正式名称では 23 設計戦列艦(23 せっけいせんれつかん;テンプレート:Lang-ru)と呼ばれた。 1 番艦の艦名から、「ソビエツキー・ソユーズ」級戦列艦、「ソビエト連邦」級戦列艦(ソビエトれんぽうきゅうせんれつかん;Лине́йные корабли́ ти́па «Сове́тский Сою́з»)とも通称される。
1930年代後半に 4 隻が起工したが、独ソ戦(大祖国戦争)の勃発によりすべて建造中止となった。
概要
ロシア革命とロシア内戦ののち、新生ソ連海軍に残っていた戦艦は実質「セヴァストーポリ」級(「ガングート」級)の3隻だけであった。そのため、1934年頃からアメリカ合衆国国内での建造を考えていた時期もあった。
1936年5月に成立した艦隊整備計画(大きな艦隊)によって、戦艦8隻、重巡洋艦(後の「クロンシュタット」級)16隻を中心とする艦隊を1946年までに国内で建造することになった。しかしこの計画は、実行前の1938年には早くも改訂作業が行われ、1939年に承認された艦隊整備計画では、戦艦6隻、重巡洋艦4隻を中心とする艦隊を1947年までに建造することとされた。
この計画に基づき、イタリアのアンサルド社より設計案を提示され、1937年には対日戦備用としてアメリカ政府に対して主砲と装甲と機関等についての技術援助と調達の約束を取り付け、「ギブス&コックス社」との話し合いに入った。しかし米国でさえ保有していない45.7cm砲搭載、62,000tの戦艦を欲しいという要求にはアメリカ政府も承諾せず、またギブス&コックス社への設計費用等の支払いが滞った為に米国との交渉は打ち切りになった。さらに、1936年から翌年にかけてのヨシフ・スターリンの大粛清により新艦の設計は影響を受け、設計が完成したのは1937年10月であった。
1938年の第三次五カ年計画として計画が纏められ、ようやく建造が承認された。その中心となったのが本級である戦艦「ソビエツキー・ソユーズ」級と重巡洋艦「クロンシュタット」級である。1938年7月15日に1番艦「ソビエツキー・ソユーズ」がレニングラード・オルジョニキーゼ工廠で建造開始。11月28日、2番艦「ソビエカヤ・ウクライナ」がニコラエフ・マルティ南工廠で建造開始。1939年12月21日に3番艦「ソビエツカヤ・ベロルーシヤ」がモロトフスクの第402工廠で起工。1940年3月21日に4番艦「ソビエツカヤ・ロシア」も第402工廠で起工された。しかし、3、4番艦は1940年10月19日に、1、2番艦は1941年7月10日に工事中止された。
艦形
船体形状はイタリア海軍の「ヴィットリオ・ヴェネト」級の影響を強く受ける長船首楼型船体である。艦首前方に向けて傾斜したクリッパー・バウだが、艦首甲板のシア(甲板の傾斜)は無きに等しく、凌波性の悪さは首尾線方向近接砲撃戦に固執したイギリス海軍の「キング・ジョージ5世」級にも見受けられた。船体形状は全長が271.5mに比較して全幅が38.92mと充分すぎる全幅を持っていた。これは高速性能を犠牲にしても砲撃時の安定性や防御重量の確保を採っていた。
全くシアのない艦首甲板から本級より新設計の「1937年型 40.6cm(50口径)砲」を三連装砲塔に納めて1・2番主砲塔を背負い式に2基ずつ配置した。本級の艦橋構造はドイツ海軍の装甲艦「アドミラル・シェーア」によく似ていた。装甲司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋の背後に頂上部に測距儀と射撃指揮装置を配置した背の高い戦闘艦橋が立つ。
艦橋の背後は直立した2本煙突が立っており、煙突の間は艦載艇置き場とした。艦載艇の運用には2番煙突の手前に立つ後部マストを基部とするクレーン1基により運用された。舷側甲板上には副砲の「15.2cm(57口径)速射砲」を連装式の副砲塔に収めて片舷3基ずつ計6基配置したが中央部の砲塔のみ高所に配置して艦首尾方向への射界を確保した。副砲塔と煙突の間には「10cm(56口径)高角砲」を連装砲架でを片舷3基ずつの計6基を配置した。2番煙突の後部には後部艦橋があり、船首楼の最後に3番主砲塔が後向きに1基配置された。3番主砲塔の左右後方に爆風対策に装甲シャッターで覆われた水上機格納庫が設けられ、そこから甲板一段分下がった後部甲板上に設けられた左右一対のクレーンとカタパルトで水上機は運用される設計であった。
武装
主砲
本級の主砲には新開発の B-37 1937年型 50 口径 406 mm 砲を採用した。その性能は重量1,108kgの砲弾を最大仰角45度で45,600mまで届かられ、射程13,600mで舷側装甲406mmを貫通できるこの砲を新設計の3連装砲塔に収めた。砲塔の俯仰能力は仰角45度・俯角2度で旋回角度は船体首尾線方向を0度として砲塔が左右150度の旋回角度を持っていた。装填は仰角5度の固定角度装填方式で発射速度は毎分1.75発の設計であった。
副砲・高角砲、その他の備砲
本級の副砲には同時期に設計された軽巡洋艦「チャパエフ」級の主砲にも採用されている新設計の B-38 1938 年型 57 口径 152 mm 速射砲を採用した。その性能は重量55kgの砲弾を最大仰角45度で23,720mまで届かせるこの砲をインペラートル・パーヴェル1世級以来の砲塔形式に収め、連装砲塔で6基を配置した。砲塔の俯仰能力は仰角45度・俯角5度であった。砲塔の旋回角度は舷側甲板に直置きされた物は135度で高所に配置された砲塔は180度の旋回角度を持っていた。装填は仰角8度の固定角度装填方式で発射速度は毎分7.5発の設計であった。
高角砲も新設計の B-34 1940年型 56 口径 100 mm 高角砲 を採用した。その性能は15.6 kgの砲弾を仰角45度22,241 m、最大仰角85度で高度9,895 mまで届けられたこの砲を連装砲架で6基を配置した。連装砲架の旋回と俯仰は電動と人力で行われ、俯仰は仰角85.5度・俯角5.5度で旋回角度は360度旋回角度を持つが実際は上部構造物により射界に制限があった。発射速度は毎分16発だった。
他に近接火器として 70-K 1941年型 67 口径37 mm 高角機関砲を採用した。この砲は0.732 kgの砲弾を仰角45度8,400 m、最大仰角85度で高度5,000 mまで届かられた。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、俯仰は仰角85.5度・俯角10度で360度旋回できたが実際は上部構造物により射界に制限があった。発射速度は毎分160~180発だった。これを四連装砲架で8基を搭載する設計であった。
機関
機関配置は自国の巡洋艦と違ってシフト配置ではなく、ボイラー室とタービン機関や補助機械室を前後に置くオーソドックスなものとしている。
重油専焼高温高圧缶12基とスイスBBC社に発注されたタービン3基3軸とを組み合わせて機関出力201,000hp、速力28ノットを発揮させられると計画された。
防御
本級は16インチ砲戦艦でありながら満載で排水量6万トンを超える大戦艦であったために防御重量をふんだんに使えた。このため、水線部には厚さ380mmから420mmなる重厚な装甲を10度の傾斜で張る事が出来た。水平防御も最上甲板に25mm、主甲板に最厚部で170mmが貼られ、スプリンター(断片)防御として50mm装甲を張るという念の入れようであった。
その防御力は同クラスの16インチ砲戦艦ではイギリス海軍の「ネルソン」級に対して射程距離13,700mm~32,000mの安全距離があり、アメリカ海軍の「アイオワ」級に対しては25,000m~32,000mの安全距離があるという優秀なものであった。
一方、水線下防御はイタリア式の「プリエーゼ式」水雷防御を採用していた。これは重油で満たした外筒と空気で満たした内筒の二重構造円筒をバルジ内に埋め込み、魚雷による被害を外筒の変形による衝撃吸収で受け止めるアイディアであり、船体内部には35mmから30mm装甲を水密隔壁として張られたが、工作に非常に技術を要求される設計で同種の構造を持つイタリア新戦艦がタラント空襲等の実戦で水雷防御が上手く機能せずに大損害を受けている事実から、イタリアよりも更に造船能力に劣るソ連で建造された本級がカタログデータ通りの水中防御力を発揮できたかは未知数である。船体底部はバルジと接続した二重底となっていた。
同型艦
- ソビエツキー・ソユーズ(Советский Союз: ソビエト連邦)
- ソビエツカヤ・ウクライナ(Советская Украина: ソビエト・ウクライナ)
- ソビエツカヤ・ベロルーシヤ(Советская Белоруссия: ソビエト・白ロシア)
- ソビエツカヤ・ロシア(Советская Россия: ソビエト・ロシア)
「ソビエツキー・ソユーズ」級は、ソ連の文化的・民族的・経済的中心である「ウクライナ」、「白ロシア」、「ロシア」の三つの地域(若しくは国家)・民族の名称、そして「ソビエト連邦」そのものを艦名に戴くことから推察されるように、まさにソ連を代表する艦になるはずであった。
関連項目
外部リンク
- Sovietsky Soyuz (Sovietsky Soyuz Class)本級の説明(英語)。