ゼリコ・ペトロビッチ
テンプレート:サッカー選手 ゼリコ・ペトロビッチ(Željko Petrović, 1965年11月13日-)はモンテネグロ(かつてのユーゴスラビア)、ニクシッチ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
人物
現役時代はオランダや日本など計4カ国、7つにクラブを渡り歩いた。ポジションは主にミッドフィールダーやサイドバック。労を惜しまない豊富な運動量と、旺盛なファイティングスピリットでサポーターの支持を集め、「ペトロ」の愛称で親しまれた[1]。
2003-04シーズンをもって現役を引退。フェイエノールトのアシスタントトレーナーを経て、2006年秋にポルトガルリーグ・ボアヴィスタFC監督となるが、僅か2か月(2勝3敗1分)で解任された[2]。2007-08シーズンはオランダ2部のRKCヴァールヴァイクの監督を務めるが、プレイオフの末に一部昇格を逃して辞任[2]。2008年からはドイツのハンブルガーSVでコーチを務めた。
2010-11シーズンより、ウェストハム・ユナイテッドFCでアヴラム・グラント監督のアシスタントマネージャーとなったが、2010年11月23日に解任された。僅か4ヶ月の着任期間であった。去り際に「プレミアリーグのレベルが高いなんて神話」「どのチームも3人程度しか良い選手がいないし、そいつら以外はオランダリーグの最下位クラブでも通用しない」「ブンデスリーガのほうがレベルはずっと高い」とコメントを残している。[3]
2011年から古巣・浦和レッドダイヤモンズの監督に就任したが、クラブは12年ぶりのJ2降格危機に瀕し、サポーターからは「いつになったら辞めるのか」など不満が噴出した[4]。また、サッカー専門紙エル・ゴラッソの採点では3.5を5月7日の柏戦、9月17日の清水戦で記録している。Jリーグの監督経験者で3.5を複数回つけられたのは彼が初めてのケースである。
2011年10月16日、Jリーグ第29節、対大宮アルディージャ戦に敗れた後の監督会見で、2011年シーズン限りでの辞意を表明[5]。同年10月20日、解任が発表された[6]。リーグ戦績は29試合戦い6勝11分12敗というものだった。なお解任時点においてヤマザキナビスコカップでは勝ち残っており、決勝を目前にしての解任であった。
2012年2月17日、フース・ヒディンク監督とともにロシア・プレミアリーグのFCアンジ・マハチカラのコーチに就任することが発表された。
所属クラブ
- 1986-1987 テンプレート:Flagicon ブドゥチノスト・チトーグラード
- 1987-1988 テンプレート:Flagicon ディナモ・ザグレブ
- 1988-1989 テンプレート:Flagicon セビージャFC
- 1989-1990 テンプレート:Flagicon FCデン・ボス
- 1990-1991 テンプレート:Flagicon ディナモ・ザグレブ
- 1991-1992 テンプレート:Flagicon セビージャFC
- 1992-1994 テンプレート:Flagicon FCデン・ボス
- 1994-1996 テンプレート:Flagicon RKCヴァールヴァイク
- 1996-1997 テンプレート:Flagicon PSVアイントホーフェン
- 1997.11-2000.9 テンプレート:Flagicon 浦和レッドダイヤモンズ
- 2000-2004 テンプレート:Flagicon RKCヴァールヴァイク
代表歴
- 1990-1998 テンプレート:Flagiconテンプレート:Flagicon ユーゴスラビア代表 18試合0得点
- 1998 ワールドカップ・フランス大会出場
指導歴
- 2004-2005 テンプレート:Flagicon フェイエノールト テクニカルコーチ
- 2006.08- テンプレート:Flagicon ボアヴィスタFC 監督
- 2007-2008 テンプレート:Flagicon RKCヴァールヴァイクセカンド 監督
- 2008-2009 テンプレート:Flagicon RKCヴァールヴァイク 監督
- 2009-2010 テンプレート:Flagicon ハンブルガーSV アシスタントコーチ
- 2010.08-2010.11 テンプレート:Flagicon ウェストハム・ユナイテッドFC アシスタントコーチ
- 2011-2011.10 テンプレート:Flagicon 浦和レッドダイヤモンズ 監督
- 2012.2- テンプレート:Flagicon FCアンジ・マハチカラ アシスタントコーチ
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1986-87||ブドゥチノスト|||||||||||||||||||| |- |1987-88||ディナモ・ザグレブ||||||18||3|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1988-89||セビージャ||||プリメーラ||21||3|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1989-90||デン・ボス||||エールディヴィジ||19||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1990-91||ディナモ・ザグレブ||||||31||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1991-92||セビージャ||||プリメーラ||11||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1992-93||rowspan="2"|デン・ボス||||エールディヴィジ||13||1|||||||||||| |- |1993-94||||2部||27||6|||||||||||| |- |1994-95||rowspan="2"|ヴァールヴァイク||||rowspan="4"|エールディヴィジ||30||4|||||||||||| |- |1995-96||||30||9|||||||||||| |- |1996-97||rowspan="2"|PSV||||25||5|||||||||||| |- |1997-98||||10||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1997||rowspan="4"|浦和||37||rowspan="2"|J||0||0||colspan="2"|-||2||1||2||1 |- |1998||rowspan="3"|6||27||2||0||0||3||0||30||2 |- |1999||J1||19||1||4||0||0||0||23||1 |- |2000||J2||16||0||0||0||colspan="2"|-||16||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2000-01||rowspan="4"|ヴァールヴァイク||||rowspan="4"|エールディヴィジ||21||2|||||||||||| |- |2001-02||||23||0|||||||||||| |- |2002-03||||23||1|||||||||||| |- |2003-04||||31||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始|||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行32||4|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行225||25|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行27||6|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行46||3||4||0||5||1||55||4 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行16||0||0||0||colspan="2"|-||16||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終|||||||||||||| |}
脚注
外部リンク
テンプレート:1998 FIFAワールドカップユーゴスラビア代表- ↑ 週刊サッカーダイジェスト、2010年12月28日号、p.8-10。
- ↑ 2.0 2.1 週刊サッカーマガジンNo.1321、2010年12月14日号、p.20。
- ↑ Zeljko Petrovic says the Premier League is c*** - The Sun
- ↑ トークイベントでサポーターから不満が噴出 J1浦和
- ↑ 「顔を上げて残りの5試合に臨む」ペトロヴィッチ
- ↑ テンプレート:Cite web