セルゲイ・ショイグ
テンプレート:政治家 セルゲイ・クジュゲトヴィチ・ショイグ(テンプレート:Lang-ru、ラテン文字表記の例:Sergei Kuzhugetovich Shoigu、1955年5月21日 - )は、ロシアの政治家。父はトゥバ人で母はロシア人。1994年から2012年まで長らくロシア非常事態相を務めた。2012年よりモスクワ州知事に就任したが、資産売却汚職事件に関与し解任されたアナトーリー・セルジュコフの後任としてロシア国防相に就任した。経済学準博士。上級大将。ロシア連邦英雄の称号を持つ。ロシアで最も人気のある政治家の一人。
経歴・概要
1955年5月21日、当時のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のトゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国チャダーナ市に生まれる。1972年にクラスノヤルスク工業大学に入学し、建築学を専攻する。
1977年にクラスノヤルスク工業大学を卒業後、シベリアの各都市の企業合同体に勤め、建築技師や職長、管理人などを歴任する。1988年ソ連共産党アバカン市委員会第二書記、1989年ソ連共産党クラスノヤルスク地方委員会監察官、1990年ロシア連邦共和国国家建築・建設委員会副議長を歴任する。
1991年ロシア救助団総裁、ロシア連邦共和国国家非常事態委員会議長に就任したのを皮切りに、ソ連崩壊後は、非常事態、災害復旧のプロフェッショナルとして新生ロシアの危機管理に力を振るうこととなる。1994年ロシア連邦非常事態相に就任する。1996年ロシア連邦安全保障会議議員、核兵器委員会委員。1997年非常事態予防・除去省庁間委員会議長なども兼務する。
1999年の下院国家会議選挙前に、エリツィン大統領の指令を受けて、結成された政権与党「統一」の党首に選出され、勝利を収めた。プーチン大統領を経て、メドヴェージェフ大統領就任後も引き続き非常事態相を務めた。
2011年東日本大震災ではメドヴェージェフ大統領の指示で援助隊を組織した。また、原田親仁駐露大使と会談し、日露両国が共同で災害対応体制に関する整備が必要との考えを示した[1]。
2012年5月11日、長らく務めていた非常事態相を退任し、モスクワ州知事に転出した。
脚注
外部リンク
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