ジョージ4世 (イギリス王)
ジョージ4世(テンプレート:En, テンプレート:En, 1762年8月12日 – 1830年6月26日)は、イギリス、ハノーヴァー朝の国王(在位:1820年1月29日 - 1830年6月26日)。ハノーファー王国の国王ゲオルク4世(テンプレート:De)でもあった。父はジョージ3世、母はその妃シャーロット。妃はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの次女キャロライン(ドイツ名カロリーネ)。ニックネームはプリニー(Prinny)である。[1]
略歴
ジョージ3世がポルフィリン症の再発で狂気に陥ったため、1811年から1820年までは摂政王太子(プリンス・リージェント)を務めた。この時期の大きな出来事としてはナポレオン戦争での勝利がある。ジョージ4世は強硬な君主として知られ、父ほどではないがしばしば政治に介入した(特にカトリック解放に関する問題など)。当初は首相スペンサー・パーシヴァルと対立を繰り返したが、パーシヴァルが暗殺されると、その治世の大部分は、第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソンが首相として国政にあたった。
皇太子時代の素行は非常に悪く、王室費の半分に相当する額と同じ金額の借金をこしらえ、父の精神障害の原因とさえも言われた。1788年にサートーマスで王族として初めてダービー(第9回)に優勝するも、1791年に八百長事件(エスケープ事件参照)を起こしたりしている。
1808年にイギリスに上陸した亡命中のフランス王ルイ18世を助け、1815年にルイ18世がフランスへ帰国するまでの間フランス亡命宮廷とフランス亡命貴族への支援を惜しまなかった。
キャロライン王妃との間に唯一シャーロット・オーガスタ王女をもうけた。シャーロットは1816年、後にベルギー国王となるザクセン=コーブルク=ザールフェルト公子レオポルドと結婚したが、翌1817年に男子を死産して間もなく死去した。
結婚以来、病的なまでに妃のキャロラインを嫌い、彼女と同衾したのも「初夜のときだけ」と周囲に言いふらすほどだった。戴冠式にキャロラインを出席させまいと奔走し、それは成功したが、意気揚々と式典へ向かうジョージ4世へ群衆は「お前さんの女房はどこだね!?」と罵声を浴びせたという。キャロライン王妃も1821年に病死し、その後ジョージ4世は再婚して子をもうけようとはしなかった。
スコットランド行幸以後、公的な場への出席を減らし、最後の愛人レディー・カニンガム(カニンガム侯ヘンリーの妻)とウィンザーで暮らす、引退に近い生活を送った。
死後は弟のクラレンス公ウィリアム・ヘンリー(ウィリアム4世)が王位を継承した。
スコットランド行幸
1821年の戴冠式の後、アイルランドとハノーファー(当地ではハノーファー王としての戴冠式をあらためて行っている)を訪問して歓待を受けた王は気を良くし、スコットランド行幸を思いついた。ハノーヴァー朝が始まって以来、ステュアート家発祥の地であるスコットランドを訪問した国王はいなかった。1822年夏、海路でスコットランドに到着した王は、ホリールードハウス宮殿で氏族(クラン)代表を接見するとき、民族衣装キルトで出席した。これは同行した作家ウォルター・スコットの発案といわれる。この演出で見事に氏族の積年の恨みを氷解させ、「ジョージ王は我ら氏族の総代表である。」と爆発的な人気を得た。この時以来、現在も王家がバルモラル宮殿など、夏の休暇をスコットランドで過ごすとき、キルトを着用するようになった。
外国から授与された勲章
- オーストリア帝国[2]:金羊毛勲章(1814年)、レオポルト勲章、ロンバルディア王冠勲章、聖シュテファン勲章
- オランダ王国:ウィレム勲章
- スペイン王国:金羊毛勲章、カルロス3世勲章
- デンマーク王国:象勲章
- ナポリ王国:フェルディナンドおよび功労勲章(1816年)
- バイエルン王国:聖フベルト勲章
- ブラジル帝国:南十字星勲章、ペドロ1世勲章
- フランス王国:聖霊勲章(1814年)、聖ミッシェル勲章
- プロイセン王国:黒鷲勲章、赤鷲勲章
- ポルトガル王国:塔および剣勲章、キリスト・聖ディエーゴ・聖ベネディクト三重勲章、聖ディエーゴ勲章
- マルタ:マルタ勲章
- ロシア帝国:聖アンドレーイ勲章(1813年)、聖アレクサンドル・ネーヴスキ勲章、聖アンナ勲章
エポニム
摂政(Regent)の名を冠した名称で、彼にちなむものが多い。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- プリンス・リージェントの功罪とキャロライン裁判の顛末(I) (II) - 西山清、早稲田大学大学院教育学研究科紀要、2012年3月
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 君塚直隆著『女王陛下のブルーリボン』NTT出版、2004年。以下、国名五十音順。