ジョルジョ・キエッリーニ
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 ジョルジョ・キエッリーニ(Giorgio Chiellini, 1984年8月14日 - )は、イタリア・ピサ出身の同国代表、セリエA・ユヴェントスFC所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
来歴
クラブ
12歳の時に、地元のクラブチームのASリヴォルノ・カルチョの下部組織に入団すると、サイドバックとしてめきめき頭角を現す。チームのセリエA昇格に貢献した後、ユヴェントスFCに引き抜かれる。しかし、ファビオ・カペッロ監督の判断により、ACFフィオレンティーナへレンタル移籍。左サイドバックのレギュラーとして起用され、37試合に出場する。
2005-2006シーズンからユヴェントスに復帰し、当初はジャンルカ・ザンブロッタの控えと目されていたが、シーズン開幕直後に右サイドバックのレギュラーだったジョナサン・ゼビナが首脳陣と問題を起こしたため、ザンブロッタが右サイドに回る形で、キエッリーニが左サイドのレギュラーに定着する。ザンブロッタがFCバルセロナに移籍した2006-2007シーズンには本来の左サイドバックだけでなく、怪我人が多発したセンターバックのポジションでも起用され、及第点のプレーを見せる。2007-2008シーズン開幕前には新しく指揮官に就任したクラウディオ・ラニエリ監督との不仲が噂され、夏の移籍市場で放出されるとの憶測が飛び交ったが結局残留。このシーズンにセンターバックとしての能力が開花し、以降ポジションを不動のものとしている。
代表
2004年11月17日にメッシーナで行われたフィンランド戦で代表デビュー。2007年11月21日のEURO2008予選・フェロー諸島戦で代表初ゴールを記録。
EURO2008初戦のオランダ戦で0-3の惨敗したのを受けて、第2戦のルーマニア戦以降センターバックとして先発フル出場、3試合を1失点に抑え、負傷したファビオ・カンナヴァーロ(ちなみに皮肉にもカンナヴァーロは大会前の練習中のキエッリーニとの接触プレーで負傷した)の穴を補う活躍を見せた。特に準々決勝のスペイン戦では、好調だったダビド・ビジャとフェルナンド・トーレスの2トップを完全にシャットアウトし、チームはPK戦の末敗退したものの、彼自身は評価を高めた。
2010 FIFAワールドカップではグループリーグ最終戦のスロバキア戦では自身のマークミスでローベルト・ヴィッテクに2点目を許す失態を犯し、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった。
2014 FIFAワールドカップのグループD第三戦イタリア・ウルグアイ戦においてウルグアイのルイス・スアレスから噛みつかれたと審判に訴えたが、審判がスアレスに退場処分を下さなかったことを批判した[1]。 処分決定後、自身の公式サイトで「ピッチ上で起きた事件に関して、満足感や、スアレスに対する復讐心や怒りは全くない。もう終わったことだ」とコメントした。
人物
- 以前は左サイドバックとして将来を嘱望されていたが、2007-2008シーズンにセンターバックにコンバートされ、以降センターバックとして定着している。また、イタリア代表でもこのポジションで起用されている。
- イタリアの名門大学であるトリノ大学を2010年に卒業している[2]。
所属クラブ
- テンプレート:Flagicon ASリヴォルノ・カルチョ 2000-2005
- →テンプレート:Flagicon ACFフィオレンティーナ 2004-2005(loan)
- テンプレート:Flagicon ユヴェントスFC 2005-
タイトル
クラブ
- テンプレート:Flagicon ASリヴォルノ・カルチョ
- セリエ C1 2001-02
- テンプレート:Flagicon ユヴェントスFC
- セリエ A 2011-12, 2012-13, 2013-14
- セリエ B 2006-07
- スーペルコッパ・イタリアーナ 2012, 2013
代表
個人
- UEFA U-21欧州選手権 ドリームチーム UEFA: 1回
- 2007
- オスカル・デル・カルチョ(Oscar del Calcio) : 3回
勲章
- カヴァリエーレ(cavaliere): 27.09.2004
脚注
外部リンク
- Giorgio Chiellini - Sito Ufficiale - Introduzione - 公式サイト
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:Facebook
- テンプレート:YouTube channel
- テンプレート:FIFA player
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