シビウ
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シビウ(Sibiu、テンプレート:Lang-hu ナジセベン、テンプレート:Lang-de ヘルマンシュタット)はルーマニアのトランシルヴァニア地方南部の都市である。人口は170,000人(2002年)。シビウ県の県都である。
歴史
ローマ人が建てた街ケドニア (Caedonia) の近くに、1190年にドイツ人の入植者によって設立された。14世紀には商業の中心地になった。1376年の書物に19のギルドに分かれた職人たちがいたことが記されている。トランシルヴァニアで最も重要な街になった。17世紀には、西洋社会の東の端の街と考えられており、一時はトランシルヴァニア公国の首都だった時期もある。
非常にドイツ色の濃い都市であったが、19世紀からルーマニア人の活躍が目立ってくる。1860年以後、オーストリア帝国がルーマニア正教会を認可したことから、府主教座が置かれた。
第一次世界大戦後オーストリア帝国は解体され、シビウはルーマニア王国に併合された。人口の大多数はルーマニア人であったが、ドイツ人とハンガリー人の大きなコミュニティーを依然として抱えていた。
1950年代から1990年代までドイツ系の人々はドイツへ移住を始め、現在市内に残っているのは2000人ほどである(現シビウ市長はドイツ系のクラウス・ヨハニス)。
人口
2002年のシビウの人口は概略170,000人であり、民族の構成は、
- ルーマニア人 95%
- ハンガリー人 2%
- ドイツ人 1.6%
- その他 1.4%
となっている。
大部分は正教会の一員であるルーマニア正教会の信者で、人口の4%がカトリックまたはプロテスタントである。
観光
- 大広場(テンプレート:Lang-ro、テンプレート:Lang-de) - 中世から都市の中心であった、長さ142m幅93mの広場。広場の周囲には15世紀から19世紀に建てられた建築物が並び、市役所、ブルケンタール邸も広場の縁にある。
- 小広場(テンプレート:Lang-ro、テンプレート:Lang-de) - 大広場の隣にある。広場から出て丘の下に向かう道に、1859年建造の、ルーマニアで最初の鉄の橋である「うそつき橋」(この橋の上で嘘をつくと橋が壊れるという言い伝えがある)がかかっている。
- 会議塔 (Turnul Sfatului) - 大広場と小広場の間に建っている時計塔。創設は13世紀とも14世紀とも言われており、何度か改築されている。塔の上からは、シビウの旧市街を望むことができる[1]。
- ブルケンタール国立博物館 - ブルケンタール邸にある美術館と古書の図書館、旧市役所の建物にある歴史博物館、16世紀建築の薬剤師店の建物にある薬局博物館、自然史博物館、武器とハンティングトロフィーの博物館から成る。大広場にあるブルケンタール邸は、バロック様式で、神聖ローマ帝国時代のトランシルヴァニア知事ザムエル・フォン・ブルケンタールの邸宅として18世紀に建てられた。
- シビウ・エヴァンゲリカ(福音)聖堂 - ゴシック様式。市のランドマークとなっている。
- ASTRA国立総合博物館 - 民族学に特化している博物館群。シビウの南のドゥンブラヴァの森にある96ヘクタールの伝統民俗文明博物館(野外博物館)と、一般民族学の博物館、トランシルヴァニア文明博物館、ザクセン民族学・民族芸術博物館から構成される。
- シビウ国際演劇祭 - 毎年5月から6月にかけて開催される。世界50カ国余からアーティスト約2,500人を招聘し、約300本のプログラムが上演される。(2013年)[2]
姉妹都市・友好都市
- テンプレート:Flagicon バウル、ブラジル
- テンプレート:Flagicon コロンビア (ミズーリ州)、アメリカ合衆国
- テンプレート:Flagicon デーフェンテル、オランダ
- テンプレート:Flagicon クラーゲンフルト、オーストリア
- テンプレート:Flagicon ランツフート、ドイツ
- テンプレート:Flagicon マールブルク・アン・デア・ラーン、ドイツ
- テンプレート:Flagicon バレンシア、ベネズエラ
- テンプレート:Flagicon ウィラル、イギリス
- テンプレート:Flagicon レンヌ、フランス
- テンプレート:Flagicon メヘレン、ベルギー
- テンプレート:Flagicon 高山市、日本[3]
シビウ出身の著名人
- ヘルマン・オーベルト - 物理学者