サニーサイドアップ (PR/マネジメント会社)
テンプレート:Infobox 株式会社サニーサイドアップ(テンプレート:Lang-en-short)は、日本のPR会社である。企業広報のほか、スポーツ選手などの広報活動支援でも知られる。
関連会社として、株式会社ワイズインテグレーション[1]と、世界一の朝食で人気の「bills[2]」の運営会社である株式会社フライパンを傘下にもつ。
概要
テンプレート:出典の明記 サニーサイドアップは、企業・商品・イベント・人物・施設などのPR活動やスポーツ選手、文化人のマネジメントを行うPR会社である。業務内容は、PRを中心とするコミュニケーション戦略のコンサルティングおよびPR活動の企画立案・実施、プロモーション戦略やイベントのに企画立案・実施、スポーツ選手・アーティストや文化人などのマネジメント業務、エンタテインメント事業のプロデュースおよびコンテンツの企画開発などに及ぶ。2011年に電通PRを抜いて国内売り上げ第1位になった。
手掛けた事業においては2005年(平成17年)、「ホワイトバンドプロジェクト」の日本での展開をサポートし670万人にホワイトバンドを広めたものの、当時、アドボカシィ活動、啓発活動キャンペーンは馴染みがなく批判を浴びた一方で、2005年に開催されたG8で、ODAの500億ドル増加が約束されるなど、素晴らしい成果をあげたとの賞賛も受けている。
2008年(平成20年)9月5日には、大阪証券取引所ヘラクレスに上場した。上場初日をストップ高で終えたサニーサイドアップが、2010年(平成22年)6月期決算では1億9,100万円の赤字決済となった。しかし、その後一年で黒字転換。
同社には、「失恋休暇」制度や、昼寝を推奨する「シエスタ」制度、ネイルやエステに行ける「オンナドアップ」制度など、32の制度というユニークな福利厚生が多数あり、2014年度の「働きがいのある会社」ランキングで3位に入賞した。
沿革
サニーサイドアップは1985年(昭和60年)、現社長の次原悦子の母親によって東京・中野に設立された。設立時には、次原悦子親子と次原悦子の同級生(現ヴァイスプレジデント)の3人が事業を行っていた。
1991年(平成3年)に始めたマネジメント業務では、元サッカー日本代表の中田英寿や、水泳の北島康介、陸上の為末大、テニスの杉山愛、ゴルフの上田桃子をはじめとしたスポーツ界の大物のマネジメントを手がける。中田英寿との契約は、1993年(平成5年)からマネジメントを行っていたサッカー選手・前園真聖の紹介が縁であった。
- 1985年(昭和60年) - 東京都中野区に設立
- 1991年(平成3年) - マネジメント契約の第1号として、トライアスリート宮塚英也と契約締結
- 1993年(平成5年) - Jリーグ発足に合わせ前園真聖のマネジメントを担当
- 1995年(平成7年) - 本社を東京都新宿区愛住町に移転
- 1998年(平成10年)
- マネジメント事業部(現:マネジメント本部)を設立
- 中田英寿のマネジメントを開始
- 2000年(平成12年) - エンタテインメント事業部(現:企画開発本部)設立
- 2005年(平成17年) - 本社を東京都渋谷区千駄ヶ谷に移転
- 2006年(平成18年) - 株式会社ワイズインテグレーションを子会社化
- 2008年(平成20年) -
- 2012年(平成24年) - ロンドン五輪開催中、JOCが開設したジャパンハウスにて日本選手団の広報業務を執行
- 2014年(平成26年) - bills をハワイにオープン、RockCorps(ロックコープス)の日本初開催を発表
所属スポーツ選手&文化人
マネジメント
- 朝日健太郎(ビーチバレー選手)
- 飯島夏樹(ライター)
- 飯島寛子(エッセイスト)
- 五十嵐亮太(ベースボール選手)
- 浦田聖子(ビーチバレーボール選手)
- 木戸愛(ゴルフ選手)
- 村主章枝(フィギュアスケート選手)
- 手塚翔太(プロウェイクボーダー)
- 徳田耕太郎(フリースタイルフットボール)
- 中田英寿(元サッカー選手)
- 前園真聖(スポーツジャーナリスト)
- 矢野貴章(サッカー選手)
- 米田功(メンタルトレーナー)
スペシャリスト
- 紙谷太朗(ティアラデザイナー)
- 瀬戸勝之(3Dサウンドデザイナー/プロデューサー)
- 大黒摩季(シンガー・ソングライター)
- 高橋和(将棋棋士)
- 早野実希子(薬剤師・セラピスト)
- 吉田真希子(ビューティフードアドバイザー)
- コシノジュンコ(デザイナー)
- ビル・グレンジャー(レストランター)
- コヤマススム(パティシエ/ショコラティエ)