米田功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 米田 功(よねだ いさお、1977年8月20日 - )は、元体操競技選手。大阪府堺市出身。8歳から体操を始める。マック体操クラブ-清風高校-順天堂大学。徳洲会所属。得意種目は鉄棒、ゆか、跳馬。尊敬する人物は徳田虎雄(徳洲会理事長、自由連合代表)[1]。身長172cm、体重64kg。
大学在学中にNHK杯で優勝したものの、練習嫌いのため伸び悩んだ時期があった。ところが、彼が補欠だった2003年世界選手権で日本人選手たちが活躍する。その悔しさから一念発起し、同年11月の全日本選手権で初優勝。翌年のNHK杯でも優勝し、日本のエースになった。“遅咲きの天才”と言われる。
アテネオリンピックでは男子体操の主将を務め、団体で優勝。種目別でも鉄棒で3位に輝いた。
その後は怪我に泣き2008年5月6日に現役引退を表明した。
経歴
- 1977年8月20日、ドイツ・ハンブルクに生まれる。
- 1984年、なんば体操クラブで体操を始める。その後、 マック体操クラブへ移籍。
- 1993年4月、清風高校に入学。
- 1996年4月、順天堂大学に入学。
- 1998年、NHK杯個人総合で優勝。
- 1999年、全日本学生選手権個人総合で優勝。
- 1999年、全日本選手権の種目別鉄棒で優勝。
- 2000年、徳洲会に入る。
- 2003年8月、世界選手権は補欠。
- 2003年11月、全日本選手権個人総合、種目別ゆかで優勝。
- 2004年5月、NHK杯で2度目の優勝。
- 2004年8月16日、アテネオリンピックの男子体操団体で優勝。
- 2004年8月23日、アテネオリンピックの男子体操種目別でも鉄棒で3位。
- 2004年11月14日、全日本選手権種目別鉄棒で優勝。
- 2008年5月6日、NHK杯の個人総合で8位、北京オリンピックの代表を逃し、直後に引退を表明。
その他
- マック体操クラブに入った当初から、コーチらから「天才」「絶対強くなる」と期待されていた。
- 練習嫌いで、3種目だけ練習して帰ることもあったが、03年の世界選手権で後輩の鹿島丈博選手、冨田洋之選手の活躍をみてからは、きちっと練習するようになった。
- モンスターボックス21段という記録も持っている。
- 身長172cmは体操選手としては比較的長身だが、中学校に入学した頃は130cmしかなかったという。
- 2008年7月結婚。
- 2009年4月からアイディア式メンタルトレーニング「トップメンタルトレーニング(米田メソッド)」を開始。2012年の米田功体操クラブ設立に向けて現在活動中。
- ファンからは、ペ・ヨンジュンの「ヨン様」になぞらえた「ヨネ様」という愛称で呼ばれている[1]。