サキ (小説家)

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テンプレート:Infobox 作家 サキ(Saki)、本名ヘクター・ヒュー・マンロー(Hector Hugh Munro、1870年12月18日 - 1916年11月14日)は、スコットランド小説家オー・ヘンリーとならぶ短編の名手であり、ブラックユーモアの強い、意外な結末をもつ作品を得意とした。

筆名の「サキ」は『ルバイヤート』に登場する給仕から取られていると言われるが、南アメリカに生息する猿サキに由来するという説もある。前者の詩は「Reginald on Christmas Presents」など作品中で言及されているが、後者の猿も「The Remoulding of Groby Lington」で主要な役割を担っている。

従弟に作家のドーンフォード・イェイツDornford Yates)がいる。

生涯

インド警察に勤務していたスコットランド系の父のもとにミャンマーで生まれる。2歳のとき、母が妊娠したため母子4人でデヴォン州ピルトン(Pilton)に住む父方の祖母および2人の叔母のもとに滞在中に、母が牛に突かれて流産、死去し、そのまま姉、兄とともに祖母と叔母に引き取られた。エクスマス(Exmouth)のペンカーウィック校(Pencarwick School)、ベドフォード校(Bedford School)で学び、卒業後、退職した父とともにヨーロッパを旅行してまわった。1893年、父に倣ってインド警察に入り、ミャンマーに配属されるが(なおジョージ・オーウェルがほぼ30年のちに同じ職に就いている)、2年後、マラリアにかかったため職を辞してイギリスにもどり、ジャーナリストに転身。『ウェストミンスター・ガゼット(Westminster Gazette)』『デイリー・エクスプレス』『モーニング・ポスト(Morning Post)』などに記事を書く。

1900年、ギボンを範として書いた歴史書『ロシア帝国の繁栄』を出版。1902年から1908年まで『モーニング・ポスト』の特派員としてバルカン、ワルシャワ、ロシア、パリに赴き、その傍らで短編小説を執筆。その後ロンドンに腰を落ち着け執筆活動を継続する。第一次世界大戦がはじまると、すでに43歳となり規定の年齢を過ぎていたにも関わらず軍に志願し、軍曹勤務伍長まで昇級するが、1916年にフランスの前線で命を落とした。煙草の煙で敵に居場所が知られることを怖れて言った「その人殺しの煙草を消してくれ!」("Put that bloody cigarette out!")が最後の言葉で、その直後にドイツ軍のスナイパーに頭を狙撃されたと伝えられる。

作品

オー・ヘンリーと並ぶ短編の名手とされ、あっと驚くような意外な結末を持つ構成の緻密な作品を多く手がけた。文体も簡潔で無駄がなく、気の利いた表現も随所にさしはさまれている。E・V・ルーカス(E. V. Lucas)は「泊り客の枕もとに、オー・ヘンリー、あるいはサキ、あるいはその両方をおいていなければ、女主人として完璧とはいえない」と評している。もっとも両者の作風は対照的で、オー・ヘンリーの短編は庶民的で情緒的、サキは貴族的で冷笑的な傾向を持ち、残酷な作品も多い。怪奇的・超自然的な趣向をもつ作品もいくつか手がけている。

代表的な短編に「開いた窓」(The Open Window)、「トバモリー」(Tobermory)「話し上手」(The Storyteller)、「平和的玩具」(The Toys of Peace)、「スレドニ・ヴァシュター」(Sredni Vashtar)、「狼少年」(Gabriel-Ernest)などがあり、中でも「スレドニ・ヴァシュター」は何度も映像化・アニメ化されている。作品の多くは新聞に発表された。短編集に『レジノルド』、『獣と超獣』、『クローヴィス年代記』などがある。全部で2長編135短編および戯曲4編が発表されており、短編の半数以上は日本語に訳されている。

日本語訳は、『サキ傑作選』(ハルキ文庫)、『ザ・ベスト・オブ・サキ1・2』(サンリオSF文庫ちくま文庫)、『サキ傑作集』(岩波文庫)、『サキ短編集』(新潮文庫)などにまとめられている。

参考文献

  • 『サキ傑作集』 河田智雄訳、岩波文庫、1981年、訳者解説

関連項目

外部リンク

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