コミ

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コミコミ出しは、囲碁のルールの一つ。ゲームの性質上先手が有利であるため、地の計算の段階で与えられるハンデキャップを指す。

概要

現在の日本のルールでは互先(たがいせん)の場合、先手(黒)が後手(白)に対して6目半のハンデを負う(「コミを出す」という)。つまり盤上で黒が4目の勝ちであったとしてもコミを計算すると白の2目半勝ちとなる。

互先の対局において、黒が盤上で7目のリードを得る(つまり最初の6目半のハンデを取り返して勝っている状態の)ことを「コミが出る」といったり、逆に盤上でリードしていても7目に達しない場合「コミが出ない」といったりする。

コミに「半目」がついているのは勝敗を決するためで、特にその必要がない場合は「半目」をつけない場合がある。その場合には両者の地が同じになると持碁(じご)と呼ばれ引き分けとなる。

置き碁の場合、置き石一つというハンデの間隔はあき過ぎていて妙味が生まれにくいため、プロアマ戦、あるいはアマチュア同士の対戦などでその間隔を埋める場合にも用いられる。この場合、置き石の数が少ない場合に上手がコミを出す「逆コミ」と呼ばれるルールを採用する場合もあり、「コミ出し」に対して「コミもらい」と言うこともある[1]

歴史

江戸時代には座興で打たれる碁のような場合を除き、基本的にコミというものはなかった。当時は棋士の数が少なかったこともあり、個人対個人で複数回の対戦(番碁)などを行い、手合割を決めていた。連碁などでコミが採用される場合には先番5目コミ出しのケースが多かったことから、当時から先番の有利さはこの程度と見られていたことがわかる。

大正から昭和に入って棋士の数も増え、また挑戦手合制が碁界の主流を占めるようになるにつれ、一番で勝負を決める必要性が生じてきた。このためコミの必要性が議論されたが、「勝負の純粋性を損なう」として反対意見も強かった。本因坊戦の開始に当たって4目半のコミが導入された時には抵抗する棋士も多く、加藤信などは「コミ碁は碁に非ず」という趣旨の自らの論説を主催紙の毎日新聞に載せることを参加の条件としたほどだった(なお加藤はコミ碁の本因坊戦で活躍し、第1期本因坊の座を関山利一と争っている)。

コミの導入によって碁の性質も大きく変化した。コミなし碁では黒は先着の有利を保つためゆっくりと打ち、堅実にリードを保つ打ち方、逆に白は激しく仕掛け、局面を動かす打ち方がセオリーとされていた。コミの導入後はこれが逆になり、黒は石数の少ないうちに主導権を握るべく積極的に戦いを挑み、白がゆっくりとした局面に導こうとするスタイルに変化している。

タイトル戦が増えるにつれてコミ碁は当たり前のものになり、コミなし碁は大手合のみになっていった。その大手合も21世紀に入って廃止となり、現在は全ての互先での対局がコミ碁となっている。

コミの変遷

当初4目半であったコミは、黒番の勝率が高いという理由で徐々に改められていった。

  • 1939年 本因坊戦で初めて4目半のコミが採用
  • 1974年 黒が有利なため、コミを5目半に改める
  • 2002年 黒が有利なため、また国際棋戦との整合性のため、タイトル戦ごとに順次コミを6目半に改め始めた

コミ5目半の時代には、4目半のコミを「小ゴミ(こごみ)」、5目半のコミを「大ゴミ(おおごみ)」と呼んでいたが、コミ6目半の採用によりこれらの呼称は廃れる方向にある。

日本以外のコミ

中国・韓国・米国(American Go Association)は、当初いずれも日本にならってコミを5目半としていたが、現在はいずれもより多い値に改定されている。

  • 台湾の計点制ルールでは、早くからコミを8点(日本の7目半にあたる)にしていた。
  • 韓国は日本より早く、2000年の第4回LG杯世界棋王戦でコミを6目半にした。
  • 中国では中国囲碁規則の2001年版でコミを3+3/4子(7目半)とした。
  • 米国でも現在はコミ7目半になっている。

中国・台湾がコミを6目半でなく7目半に変更したのは、中国式ルールでは多くの場合黒と白の目の差が奇数になるため、コミ6目半と5目半で違いが出ないためである(中国式ルールでは石を置かれた場所も地として数えるため、セキでどちらの地にも数えられない点が生じない限り、盤面全体の点の数が奇数=両者の地の数は一方が偶数で一方が奇数となる)。米国ルールはこれに該当しない(石を置かれた場所は地として数えない)もののコミ7目半としている[1]

脚注

  1. この場合コミの大きさは6目を最大幅として調整される。

関連項目

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