ケン・リヴィングストン
テンプレート:政治家 ケネス・ロバート・リヴィングストン(Kenneth Robert "Ken" Livingstone、1945年6月17日 - )は、イギリスの政治家。
来歴
ロンドン、ランベスにて出生。両親はともに労働者階級に属し、スコットランド出身の父は船員で、母はミュージック・ホールで働いていた。
総合中等学校(en)を退学後、1962年から1970年までフラムのガン研究所で研究員となる(ここでの彼の仕事は動物実験で使用される動物の世話に関与していた)[1][2][3] 。研究所スタッフのほとんどが社会主義者であることを知り、政治活動にかかわっていくようになる。1968年にイギリス労働党へ入党。1973年、グレーター・ロンドン・カウンシル議会選挙にノーウッド選挙区から出馬、当選した。
1981年にグレーター・ロンドン・カウンシル議長に就任するが、当時の保守党政権のマーガレット・サッチャー首相と対立して首相にグレーター・ロンドン・カウンシルの廃止を決断させたことは有名である。2000年に新設された大ロンドン初代市長職を2期務めた。
トニー・ブレアと同じ労働党に属するが、"Red Ken"とも呼ばれる党内左派の論客であり、イラク戦争に反対し離党した。2004年に労働党に復帰、2度目の大ロンドン市長選挙戦に勝利した。歯に衣着せぬ物言いで評判もよい一方、時に物議を醸す。
2008年5月1日に実施された市長選挙で、ジャーナリスト出身の保守党候補で下院議員のボリス・ジョンソンに敗れ落選した。2012年5月に行われた大ロンドン市長選挙に労働党から立候補したが、現職に再び敗れ落選した。[4][5]
人物
リヴィングストンの両親は右派であり、後年彼は両親について『労働者階級のトーリー』と述べている[6] 。一方で両親は社会自由主義の観点から、人種差別、同性愛者差別に反対していた[7] 。ありふれたアングリカンの家庭で育ったが、リヴィングストン自身は11才の時にキリスト教および一神教信仰を捨て、無神論者となった[8]。
離婚歴があり、2009年に再婚した現在の妻エマ・ビールとの間に2子がある。2008年の大ロンドン市長選挙時、当時交際していたエマ・ビールとの子以外にも、リヴィングストンがかつての交際相手との間に3子をもうけていることが明らかにされた[9] 。
趣味は園芸とイモリの繁殖である。
問題発言
- 執拗に取材を迫るユダヤ人ジャーナリストをナチスの「ユダヤ人強制収容所の看守」呼ばわりし、大きな問題になった。この一件があってか、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ(ユダヤ系)がリヴィングストンに嫌悪感を覚えたとされ、2006年9月にリヴィングストンがニューヨークを訪問した際、ブルームバーグから多忙を理由に面会を拒否されたという。
- 自分の提案した渋滞税を日本大使館が払っていないことに対して、「日本人は戦争犯罪者」と呼び、物議を醸している。なお、アメリカ大使館も渋滞税不払いを行っている。
脚注
- ↑ Hosken 2008. p. 09.
- ↑ Livingstone 1987. p. 13.
- ↑ Hosken 2008. pp. 09-10.
- ↑ Owen 2008.
- ↑ Mulholland 2010.
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ Hosken 2008. p. 11.
- ↑ #Bun05|Bunder and Livingstone 2005.
- ↑ テンプレート:Cite news
外部リンク
- Mayor of London, the London Assembly and the Greater London Authority - official London government website
- Mayorwatch.org pages
- CityMayors.com Profile of Livingstone
- Full results of the 2004 mayoral election
- Profile
- Mayor condemns 'cowardly' attack (7 July 2005) BBC video of Livingstone's statement (Realplayer format)
- Ken Livingstone : Rebel Mayor (5 May 2000)
- The Observer Profile: Ken Livingstone - Capital chap by Jay Rayner, published in The Observer, July 10, 2005
- Red Ken drags London into the gutter by Robin Shepherd, published in the Jerusalem Post, July 24, 2005
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