カール・ラガーフェルド
カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld、1933年9月10日 - )は、ドイツ出身のファッションデザイナー、写真家。ファッションブランドであるフェンディとシャネルにおいてデザイナーを務める。
本名はLagerfeldt(ラガーフェルト[1])だが、Lagerfeldに変えている。「その方が商業的に良いから」とのこと。また本人が「1938年生まれだ」と主張したことがあるが、1933年生まれであることが学校の記録などで確認されている。
略歴
1933年にドイツのハンブルクにて生まれる。父親オットーについてカールは「ロシア・ウラジオストク出身」や「スウェーデン出身」と発言したことがあるが、実際は練乳の会社で働いていたドイツ人である。母はドイツ・ベルリン出身で下着のセールスをしていた。1952年19歳で、パリに移住。1954年:21歳の時に IWS(国際羊毛事務局、現ザ・ウールマーク・カンパニー)のコンクールのコート部門で優勝。その後ピエール・バルマン(Pierre Balmain)、ジャン・パトゥ(Jean Patou)等のオートクチュールメゾンで仕事をする。1962年独立し、プレタポルテに進出。1963年クロエ創業者の任命により、クロエ(Chloé)のヘッドデザイナーとなる。1965年フェンディのデザイナーに抜擢。1983年クロエを去って、シャネルのデザイナーに就任。1984年自身のブランド「カール・ラガーフェルド」をスタート。1986年デ・ドール賞(金の指貫き賞)受賞。1992年クロエのデザイナーに復帰。以後、フェンディ、シャネル、クロエ、自社の4つのメゾンのデザイナーを兼任。2007年自身のブランド「カール・ラガーフェルド」をトミー・ヒルフィガーに売却した。2007年「ラガーフェルド・ブライダル・コレクション」として10月にウェディングドレスのコレクションを発表。
デザインの特徴
ストリート・ファッションをエレガントに表現するという、独特のクリエイティブな世界である。シームなしの袖付け、軽く丈夫なヘム・ライン、すっきりとしたレイヤード等、斬新な手法を多数世に送り出している。また、服を皮膚と考える彼は、身体をしばらない、着やすい服作りに努め、「重ね着の魔術師」「トータル・ルックの名手」といわれた。
エピソード
- 以前は太り気味の体に扇子とポニーテールがトレードマークであったが、2000年に「ディオール・オムの細身のスーツを着るために」13ヵ月で42kgの減量に成功している。以降は襟の高い細身のジャケットとシャツに、クロムハーツのジュエリーを身につけるのがトレードマークとなった。
- クロムハーツコレクターでもあり、クロムハーツのリングは全部所有しているそうで、「男がつけてもOKなジュエリーっていったらクロムハーツ位」と公言している。
- ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語の4ヶ国語に堪能。
- 2003年に、スタインウェイの創立150周年記念限定ピアノのデザインを手がけた。
- 2004年に、大量生産の既成服として人気の高いH&Mのデザインを手がけ、同時にテレビCMにも出演し話題となった。
- 2006年に、シャネルのコレクションまでのアトリエの様子を描いたドキュメンタリー、「サイン・シャネル~カール・ラガーフェルドのアトリエ~」が公開された。
- 2007年に、自らの選曲の2枚組CDアルバムをリリースした。
- イタリアのタイヤメーカーであるピレリ(Pirelli)が毎年出版するピレリカレンダーの2011年度版撮影を行う。欧米圏では伝統的かつ有名なカレンダーであるが、ヌードが多いなどの倫理的な問題もあり日本には輸入されない。