カール・クロフォード
テンプレート:Infobox baseball player カール・デモンティ・クロフォード(Carl Demonte Crawford, 1981年8月5日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在はMLB・ロサンゼルス・ドジャース所属。
経歴
幼いころはスラム街で育ち、周りは不良だらけだったという。しかし、クリーブランド・インディアンスのマイケル・ボーンの父であるレイが子供たちを非行でなく野球に導く優れた指導者だったおかげで犯罪者にならなくて済んだ。このことにクロフォードは感謝しており、当時チームメイトだったマイケルとも親交がある[1]。
UCLAからバスケットボールの選手として、ネブラスカ大学からはアメリカンフットボールの選手としてそれぞれ奨学金を提示されたが、最終的には野球の道へ進んだ。
レイズ時代
1999年にデビルレイズからドラフト2巡目指名(全体52位)を受け入団。
テンプレート:By7月20日のブルージェイズ戦で球団史上最年少(当時)でメジャーデビューを果たし[2]、打率.259、9盗塁を記録した。
テンプレート:Byは開幕から1番打者として出場していたが、6月には月間打率が2割5分を下回り、1番打者から外されるようになったが、7月以降は3割を超える打率をマークした[3]。リーグ最多の55盗塁を記録し、史上4番目の若さで最多盗塁のタイトルを獲得した[4]。
テンプレート:Byには、自己最多の59盗塁と19三塁打を記録し、初めてオールスターゲーム出場を果たした。また、オフの日米野球にもMLB選抜として来日した。
デビルレイズは、テンプレート:By開幕前の4月1日に6年総額3,100万ドル(2009年、2010年は球団オプション)で契約延長した[5]。9月以降に打率.371を記録し、シーズン通して打率.301を記録し、初めて打率3割に到達した[3]。
テンプレート:Byは前年の手首痛を引きずったまま開幕を迎え[6]、4月は打率.269だったが5月以降は調子を上げ、自己最高の打率.305、18本塁打を記録した。
テンプレート:Byも手首痛により6月5日以降42試合連続で本塁打を放てずにいて、7月30日のブルージェイズ戦の試合前にはMRI検査を受けドクターストップがかかっていた[7]。しかし、試合が延長戦となり、延長11回に代打として出場し、サヨナラ本塁打を記録した[7]。そしてこの試合から10試合の間に4本塁打を記録している。痛みがひどくなったため、9月16日の試合を最後に戦線離脱し、治療に専念しシーズンを終えた[7]。シーズン通しては打率.315を記録し、オーブリー・ハフが2002年に記録した打率.313の球団記録を更新し[8]、ブライアン・ロバーツとリーグ最多タイの50盗塁を記録。2回目の選出となったオールスターゲームでは、フランシスコ・コルデロから本塁打を記録した[9]。
テンプレート:Byは右中指の亜脱臼で8月10日に自身初の故障者リスト入りで離脱して成績を落としたものの[10]、チームが大躍進するのを見て早期復帰に臨み、ポストシーズンで復帰してシーズン当初の2番から5番に打順を変更して活躍を見せた。
テンプレート:By5月3日のレッドソックス戦で1試合6盗塁のMLB最多タイ記録を達成。1900年以降では1996年に記録したエリック・ヤング以来史上4人目(5度目)となる記録である。なお、近代野球が成立したとされる1900年以前のものを含めた大リーグ1試合最多盗塁記録7には1つ及ばなかった[11]。3回目のオールスターゲーム出場を果たし、7回の守備でブラッド・ホープが放った本塁打性の打球を好捕。このプレーでMVPに輝いた[12]。
テンプレート:By、2年連続で.300以上の打率を記録。得点は5年ぶりの100以上且つ自己ベストの110、4年ぶりのリーグ三塁打1位、自己最多の19本塁打・90打点、自己最高のOPS.851、レギュラー定着以降で自己最少タイの2併殺打など、成績面で充実したシーズンとなった。オフの11月1日にFAとなった。
レッドソックス時代
2010年12月11日にボストン・レッドソックスと総額1億4200万ドルの7年契約を結んだ[13]。しかし、シーズン本塁打を20本以上打ったことがない打者としては最高額だったことや、ケン・グリフィー・ジュニアやバーノン・ウェルズなど、人工芝球場を本拠地として長年プレーした大型外野手は故障などでパフォーマンスを大きく落とすことが明らかになっており、獲得に反対の声も上がった。
テンプレート:Byは新天地で新たなスタートを切ったものの、極度の不振に陥ってしまう。シーズン開始当初は1番を打っていたものの、後に6番に降格される。また、ワイルドカード進出が懸かったシーズン最終戦、ボルチモア・オリオールズ戦では同点の9回裏2死2塁の場面で、レフトに飛んできた球に対しスライディングキャッチを試みるものの(難しいところではあったが)ボールを落としてしまい(記録はヒット)、2塁走者が生還、チームはサヨナラ負けを喫してしまう。そして、レッドソックスとワイルドカードを争っていたタンパベイ・レイズがこの日のニューヨーク・ヤンキース戦でサヨナラ勝ちを収めたため、チームはワイルドカード2位に終わり、ディビションシリーズ進出はならなかった。最終的な成績は打率.255、HR11本、18盗塁。打率は自己最低、盗塁数はメジャーデビューした年以来20盗塁を下回るなど、散々な1年だった。
テンプレート:Byは更に散々で、開幕から故障者リスト入りし、復帰を目指してのリハビリ中にまた負傷してしまう。戦列に復帰したのは7月16日になってからで、痛みを押しての出場がたたり、左肘のトミー・ジョン手術を受け、残りのシーズンを全休した[14]。この年は31試合しか出場できず、その後ドジャースへの移籍が決まり、結果としてレッドソックスのクロフォード獲得は大失敗に終わった。
ドジャース時代
2012年8月25日にジョシュ・ベケット、エイドリアン・ゴンザレス、ニック・プントと金銭と共に、ジェームズ・ローニー、イバン・デヘスース、アレン・ウェブスター、後日指名選手2人とのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[15]。移籍後は同年の手術の影響で出場はなかった。
テンプレート:Byは開幕ロースター入りしたが、4月30日に右ハムストリングの故障で離脱。5月に復帰したものの、6月2日に再発し、6月3日に15日間の故障者リスト入りした[16]。7月5日に復帰[17]。この年は116試合に出場し、6本塁打31打点15盗塁、打率.283だった。
テンプレート:Byは前年と同様に正左翼手として開幕から44試合に出場していたが、5月28日に左足首の故障で15日間の故障者リスト入りした[18]。
獲得タイトル・表彰・記録
- 盗塁王 4回:2003年、2004年、2006年、2007年
- ゴールドグラブ賞 1回:2010年
- シルバースラッガー賞 1回:2010年
- MLBオールスターゲーム選出 4回:2004年、2007年、2009年、2010年
- MLBオールスターゲームMVP 1回:2009年
- フィールディング・バイブル・アワード 3回:2006年、2008年、2009年
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | TB | 63 | 278 | 259 | 23 | 67 | 11 | 6 | 2 | 96 | 30 | 9 | 5 | 6 | 1 | 9 | 0 | 3 | 41 | 0 | .259 | .290 | .371 | .661 |
テンプレート:By2 | 151 | 661 | 630 | 80 | 177 | 18 | 9 | 5 | 228 | 54 | 55 | 10 | 1 | 3 | 26 | 4 | 1 | 102 | 5 | .281 | .309 | .362 | .671 | |
テンプレート:By2 | 152 | 672 | 626 | 104 | 185 | 26 | 19 | 11 | 282 | 55 | 59 | 15 | 4 | 6 | 35 | 2 | 1 | 81 | 2 | .296 | .331 | .450 | .781 | |
テンプレート:By2 | 156 | 687 | 644 | 101 | 194 | 33 | 15 | 15 | 302 | 81 | 46 | 8 | 5 | 6 | 27 | 1 | 5 | 84 | 11 | .301 | .331 | .469 | .800 | |
テンプレート:By2 | 151 | 653 | 600 | 89 | 183 | 20 | 16 | 18 | 289 | 77 | 58 | 9 | 9 | 2 | 37 | 3 | 4 | 85 | 8 | .305 | .348 | .482 | .830 | |
テンプレート:By2 | 143 | 627 | 584 | 93 | 184 | 37 | 9 | 11 | 272 | 80 | 50 | 10 | 1 | 2 | 32 | 5 | 5 | 112 | 11 | .315 | .355 | .466 | .820 | |
テンプレート:By2 | 109 | 482 | 443 | 69 | 121 | 12 | 10 | 8 | 177 | 57 | 25 | 7 | 0 | 5 | 30 | 1 | 2 | 60 | 10 | .273 | .319 | .400 | .718 | |
テンプレート:By2 | 156 | 672 | 606 | 96 | 185 | 28 | 8 | 15 | 274 | 68 | 60 | 16 | 2 | 5 | 51 | 1 | 8 | 99 | 7 | .305 | .364 | .452 | .816 | |
テンプレート:By2 | 154 | 663 | 600 | 110 | 184 | 30 | 13 | 19 | 297 | 90 | 47 | 10 | 3 | 5 | 46 | 3 | 3 | 104 | 2 | .307 | .356 | .495 | .851 | |
テンプレート:By2 | BOS | 130 | 539 | 506 | 65 | 129 | 29 | 7 | 11 | 205 | 56 | 18 | 6 | 2 | 4 | 23 | 1 | 3 | 104 | 7 | .255 | .289 | .405 | .694 |
テンプレート:By2 | 31 | 125 | 117 | 23 | 33 | 10 | 2 | 3 | 56 | 19 | 5 | 0 | 1 | 2 | 3 | 0 | 2 | 22 | 1 | .282 | .306 | .479 | .785 | |
テンプレート:By2 | LAD | 116 | 469 | 435 | 62 | 123 | 30 | 3 | 6 | 177 | 31 | 15 | 4 | 0 | 2 | 28 | 2 | 3 | 66 | 4 | .283 | .329 | .407 | .736 |
通算:12年 | 1512 | 6528 | 6050 | 915 | 1765 | 284 | 117 | 124 | 2655 | 698 | 447 | 100 | 34 | 43 | 347 | 23 | 40 | 960 | 68 | .292 | .332 | .439 | .771 |
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- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
脚注
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 『メジャー・リーグ・ベースボールオフィシャルイヤーブック2003』 p33頁。ISBN 4583612230
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite book
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- ↑ http://topics.jp.msn.com/sports/mlb/article.aspx?articleid=1306224
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