カルロ2世 (ナポリ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 カルロ2世(Carlo II d'Angiò, 1248年/1254年 - 1309年5月5日)は、ナポリ王(在位:1285年 - 1309年)。シチリアカルロ1世(シャルル・ダンジュー)と最初の妃ベアトリス・ド・プロヴァンスの子。

1282年、父カルロ1世がシチリアの晩祷事件がきっかけでシチリア王位を追われると、父と共にナポリに逃亡してアラゴン王ペドロ3世と戦う。しかし1284年、アラゴン海軍と戦って敗れて捕虜となった。

1288年、シチリアを完全放棄するという条件で釈放され、既に没していた父の後を継いでナポリ王として即位する。しかし父以来の宿願であるシチリア奪還を諦めず、1289年には巧みな政治工作でローマ教皇ニコラウス4世からシチリア王として戴冠を受けた。また、妃であるハンガリーイシュトヴァーン5世の娘マーリアとの間の長男カルロ・マルテッロ神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘クレメンツィアと結婚させた上、ハンガリー摂政を名乗らせて同国の王位継承争いに介入した(カルロ・マルテッロは1295年に23歳の若さで死亡したが、後にその息子のカルロ・ロベルトがハンガリー王カーロイ1世となる)。

こうした情勢を背景にして、ペドロ3世の三男のシチリア王フェデリーコ2世と戦ったが、シチリアを奪還することはできず、1295年に次女ビアンカをアラゴン王ハイメ2世(ペドロ3世の次男でフェデリーコ2世の兄、当時シチリア王を兼ねた)と、1297年に三男ロベルトをフェデリーコ2世の妹ビオランテと、1302年に三女エレオノーラをフェデリーコ2世とそれぞれ結婚させ、アラゴン家との和平を図っている。

カルロ2世は父からアカイア公国も継承したが、自身がシチリア王として戴冠した1289年に弟フィリッポ(1277年没)の未亡人であったイザベル・ド・ヴィルアルドゥアンラテン帝国継承者の近親フロラン・ド・エノーと再婚すると、これに譲った。しかしフロランの死後(1297年)、1301年にイザベルがフィリップ・ド・サヴォワと再々婚して共治に乗り出したことには難色を示し、これを廃して自身の四男ターラント公フィリッポを公位に就けた(1306年6月5日)。

1309年にナポリで死去し、三男ロベルトが王位を継承した。

家族

1270年ハンガリーイシュトヴァーン5世の娘マーリア(1257年頃 - 1323年)と結婚した。なお、マーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚している。マーリアとの間には14子が生まれた。

関連項目

先代:
カルロ1世
ナポリ王
プロヴァンス伯
1285年 - 1309年
次代:
ロベルト
先代:
シャルル1世
アンジュー伯
1285年 - 1290年
次代:
シャルル3世
先代:
シャルル1世
アカイア公
1285年 - 1289年
次代:
イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン

テンプレート:Italia-storia-stub