オバフェミ・マルティンス
テンプレート:サッカー選手 オバフェミ・アキンウンミ・フォルワショラ・オシャディ・マルティンス(Obafemi Akinwunmi Foluwashola Oshadi Martins, 1984年10月28日 - )は、ナイジェリアの同国代表サッカー選手。ナイジェリア、ラゴス出身。ポジションはフォワード。メジャーリーグサッカー・シアトル・サウンダーズFC所属。愛称はオバオバ。
来歴
14歳の時、ナイジェリアのFC Ebedeiに加入。その後、16歳でイタリアのセリエCレッジャーナのトライアルに参加。2か月のトライアルを経て、Ebedeiのチームメイトスティーヴン・マキンワとともに入団。ユースチームで活躍し、これが、元イタリア代表ストライカーピエルルイジ・カジラギの目に留まり、彼の推薦もあって2001年からレッジャーナのトップチームに昇格する事になった。この年のビアレッジョ国際ユースで優勝するとアフリカ最優秀若手選手にも選出された。
2001年からはインテルへ移籍。初年度はユースチームで23得点を記録する。2002年12月にトップチームデビュー。アルバロ・レコバ、アドリアーノ、フリオ・リカルド・クルスら豪華なFW陣の一角を占める中、先発出場は少ないものの、セリエAで88試合に出場して28得点を記録。中でも2002-03シーズンのチャンピオンズリーグでは、セミファイナルで大会史上初のACミランとのミラノダービーとなった。その第2戦でルーズボールを背中で流し、圧倒的なスピードでパオロ・マルディーニを完全に振り切り得点を奪うという離れ業をやってのけた。2005年には2010年まで契約を延長。
しかし2006年にユヴェントスからズラタン・イブラヒモビッチ、チェルシーからエルナン・クレスポの加入が決定。出場機会の激減が予想されたため、移籍を志願。移籍市場ではバレンシアなどがオファーを出すなど注目を集めたが、2006-07シーズンよりイングランドのニューカッスル・ユナイテッドへ移籍。ニューカッスルでは3シーズンで88試合に出場し28ゴールを記録するも、2008-09シーズンにチームが降格。これに伴い、2009年7月、移籍金900万ポンドでドイツのVfLヴォルフスブルクに4年契約で移籍した[1]。2010年7月、ロシア・プレミアリーグのFCルビン・カザンに3年契約で移籍した[2]。
ナイジェリア代表においては、アフリカネイションズカップ2006での3位入賞に貢献するなど中心選手となっている。2007年11月17日の親善試合・オーストラリア戦では初めてキャプテンを任された。2009年11月14日のワールドカップ予選・ケニア戦では同点ゴール、決勝ゴールと2得点を挙げる活躍で、ナイジェリアのワールドカップ出場決定に貢献した。
2011年1月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCにレンタル移籍。2月19日のFAカップ5回戦で移籍後初ゴールを決めた。2月27日に行われたリーグカップ決勝・アーセナル戦で途中出場し、1対1で迎えた後半44分に決勝ゴールを挙げ48シーズンぶり2度目の優勝に貢献した。
人物
- インテルでは先輩FWであり、同じ英語話者であるクリスティアン・ヴィエリにかわいがられていた。
- 2006年8月にナイジェリアサッカー協会の公式サイトにおいて、生年月日が誤って1978年5月1日(実際は1984年10月28日)と掲載された。
- 2007年6月20日、ナイジェリアの首都ラゴスで車の運転中に銃で襲われた事がある。
- 2008年7月24日、ナイジェリアの首都ラゴスで起こったタンクローリー爆発事故による火災で、母のアルハジャさんが巻き込まれ亡くなった[3]。本人はかなりのショックを受け、すぐにイングランドからナイジェリアへと向かった。
獲得タイトル
クラブ
- インテル
- セリエA : 2005-06
- コッパ・イタリア : 2004-05, 2005-06
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2004-05, 2005-06
- ニューカッスル
- UEFAインタートトカップ : 2006
- バーミンガム
- フットボールリーグカップ : 2011
個人
- CAF年間最優秀若手選手 : 2003, 2004
脚注
外部リンク
テンプレート:Navboxesテンプレート:Footybio-stub- ↑ マルティンスがヴォルフスブルクに移籍!Goal.com、2009年8月1日
- ↑ マルティンスがルビンへ移籍UEFA.com、2010年7月10日
- ↑ 快速FWマルティンスの母が火災で亡くなるlivedoorスポーツ、2008年7月25日