オットマール・フォン・モール
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オットマール・フォン・モール(Ottmar von Mohl, 1846年1月17日 テュービンゲン - 1922年3月23日 ノイシュタット・アン・デア・オルラ Neustadt/Orla 近郊アルンスハウク城 Schloss Arnshaugk)は、ドイツの外交官であり、日本の政府顧問である。
1846年、ローベルト・フォン・モールの息子として生まれる。フォン・モールは、テュービンゲン大学で法学を勉強し、1868年にバーデン大公国の第一次国家試験を合格し、同年ハイデルベルク大学で法学博士号を取得した。1873年にドイツ帝国の皇后アウグスタの秘書に任命される。その後、駐シンシナティ(1879年)、駐サンクトペテルブルク(1885年)のドイツ帝国領事を歴任する。
1887年から1889年にかけて、妻のワンダ・フォン・モール(元姓フォン・デア・グロウーベン伯爵)とともに、東京の宮内省の顧問になり、ヨーロッパの宮廷儀式を導入した。一方で、単純な洋風化には批判的で、ハンガリーやロシアに倣い民族衣装の保護などを主張したが、欧風化政策を志向していた伊藤博文以下、明治政府の首脳とは対立することもあった。
1897年から1917年まで、カイロのエジプト国家債務委員会にドイツ代表者として任務を果たしたが、1914年にエジプトの宣戦布告によって中断を余儀なくされた。
著書
- Wanderungen durch Spanien (「スペインへの旅」) Leipzig: Duncker & Humblot 1878
- Am japanischen Hofe: Kammerherr Seiner Majestat des Kaisers und Königs Wirklicher Geheimer Legations-Rat (「日本の宮廷で」) Berlin: Reimer 1904
- Lebenserinnerungen: 50 Jahre Reichsdienst (「自伝: 帝国のための50年間の任務」) 2 volumes. Leipzig: List 1920/22 (Vol 2: Ägypten (「エジプト」)