エルバ島
テンプレート:Infobox エルバ島(エルバとう、テンプレート:Lang-it)は、ティレニア海にあるイタリア領の島。イタリア半島とコルシカ島(フランス領)の間に位置し、トスカーナ群島中最大の島である。
ナポレオン・ボナパルトが最初の退位後に追放された地として知られる。行政上はトスカーナ州リヴォルノ県に属し、約3万人が暮らす。
地理
ティレニア海北部に位置するが、エルバ島以北の海がリグリア海と定義されることもある。グロッセート県の海岸から20kmの所に位置し、西方にはフランス領のコルシカ島がある。シチリア島、サルデーニャ島に次いで、イタリアでは3番目に大きい島である。
島民は3万人で、最大の都市は北岸のポルトフェッラーイオ。夏場は海水浴客が押し寄せる。
エルバ島を含むトスカーナ群島の島々(エルバ島、ピアノーサ、カプラーイア、モンテクリスト、ジリオ、ジャンヌートリ)は、トスカーナ群島国立公園として保護されている。
歴史
この島には古代から印欧語族LiguresのIlvates族が定住しており、島で産出する鉄の精錬で知られていた。古代ギリシャはこの島をAithàle (Αιθάλη)、Aithàleia (Αιθάλεια)またはAithalìa (Αιθαλία)と呼んでいたが、これは古代ギリシャ語で煙に因んだものである。古代ローマでは住民であるllvatesに因みllva、中世に入りllbaおよびHelbaと呼ばれるようになった[1]。
古代にエトルリア人に侵略され、その後(紀元前480年以降)古代ローマに侵略された。11世紀始めにはテンプレート:仮リンクに支配され、1398年にはミラノのヴィスコンティ家へ売却され、後にピオンビーノの王の支配下となった。1544年には北アフリカの海賊(バルバリア海賊)の侵略により島は荒廃した。その後、トスカーナ大公国を支配するメディチ家によって実効支配された。島には、要塞と軍事と交易をするための海港、コスモーポリが建設された。この港は当時のトスカーナ大公コジモ1世の名を冠している。 1737年、メディチ家が断絶すると、エルバ島を含むトスカーナ大公国は、ハプスブルク家によって支配されることとなった。
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが1814年にこのエルバ島(1802年にフランス領)に追放され、「ムリーニ小宮殿」と呼ばれる小さな邸宅(現存)で299日間を過ごしたことでも有名である。内陸部には「サンマルティーノ」と呼ばれる別荘もあった。[2]なおこれを種にした次のような回文は有名。:
「Able was I ere I saw Elba.(エルバ島を見るまでは、私に不可能はなかった)」
行政区画
経済・産業
ワインで有名である。
交通
トスカナ州ピオンビーノ港から、ポルトフェライオ港までフェリーで1時間ほどである。
エルバ島を舞台とした作品
映画監督スタンリー・キューブリックは晩年、エルバ島のナポレオンを題材とする新作を構想中であった[3]。
人物
ゆかりの人物
- ナポレオン・ボナパルト - フランス皇帝。1814年、当地に追放される。
- ジャック・マイヨール - フリーダイバー。カポリーヴェリの自宅で自殺。
脚注
- ↑ it:Isola_d'Elba#Il nomeおよびen:Elba#Historyの最初の節より。伊版には各名称の出典がある。
- ↑ [読売新聞 2010年5月7日夕刊15面 ちきゅう 時の散歩 松浦一樹]
- ↑ [読売新聞 2010年5月7日夕刊15面 ちきゅう 時の散歩]
外部リンク
- Elba Geology a rich site about Elba's geology.
- エルバ (島) info Transport & Accommodations
- War story about the WWII battle