エリック・ドルフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician エリック・ドルフィーEric Dolphy1928年6月20日 - 1964年6月29日 )は、ジャズバスクラリネットアルト・サックスフルート奏者。アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれ。

卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られる。

それまでクラシックにおいて使用されるのが主だったバスクラリネットジャズ独奏楽器として用いたことは、後のジャズ奏者に多大な影響を与えた。

彼の独特な音楽観から、時にフリー・ジャズに分類されることもあるが、基本的には音楽理論に則りアドリブを展開していくスタイルである。

略歴

1958年チコ・ハミルトン楽団に参加。その後チャールズ・ミンガス楽団に加わる。同時にソロ活動も開始した。

1961年にトランペット奏者ブッカー・リトルとの双頭コンボを組むも、同年10月のリトルの急逝で頓挫。1961年~62年まで、ジョン・コルトレーンのグループに参加し、1964年には再びミンガス楽団に加わった。

糖尿病による心臓発作のため、ベルリンにて他界。遺品となったバスクラリネットとフルートは、ドルフィーの両親からコルトレーンに贈られた。

アルバム

代表作には『アウトワード・バウンド』『アウト・ゼア』『アット・ザ・ファイブスポットvol.1&2』『アウト・トゥ・ランチ』『Other Aspects』『ラスト・デイト』などがある。サイド・マンとしても多くのすぐれた演奏を残した。チャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』オーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』オリバー・ネルソンの『ブルースの真実』ジョージ・ラッセルの『エズゼティックス』などがある。

影響その他

阿部薫は「エリック・ドルフィーを父親とし、ビリー・ホリディーを母親として俺は生まれた。そして俺はエリック・ドルフィーを俺のアルトの演奏によってどうしても超えなければならない。それは義務なんだ。」と発言したといわれる[1]

フランク・ザッパはアルバム『いたち野郎』(1970)で、“エリック・ドルフィー・メモリアル・バーベキュー (Eric Dolphy Memorial Barbecue)" という曲を作曲している。

関連著作

  • 『エリック・ドルフィー』著:ウラジミール・シモスコ&バリー・テッパーマン 訳:間章、晶文社、1975年。ISBN 4794951787。

脚注

  1. 『阿部薫1949-1978』(文遊社,2001年)