ウェルキンゲトリクス
ウェルキンゲトリクス(Vercingétorix [1]、紀元前72年 - 紀元前46年)は、ガリア(現在のフランス)に住むケルト人(ガリア人)の一部族であるアルウェルニ族の出身で、古代ローマのガリア侵略に対して抵抗した人物である。フランス最初の英雄と称される。ヴェルキンゲトリクス、ヴェルチンジェトリクス、ヴェルサンジェトリクス(フランス語読み仮名転写)とも表記される。
生涯
20歳前後で族長[2]となり、ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦争において、それまで統率の執れていなかったガリア諸部族(ガリア人[ガリアのケルト人]諸部族)をまとめ上げて対ローマ統一部隊を組織すると、ガリア各地でゲリラ戦やローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦などを展開し、ローマ軍を苦しめた。アウァリクム包囲戦でアウァリクムを陥落させられたが、ゲルゴウィアで反撃、ローマ軍に勝利した(ゲルゴウィアの戦い)。
しかし、最終的にはガリアの都市アレシア(現在のディジョンに近い地域)に追い詰められ、ローマ軍に包囲された。突破作戦を決行するも失敗し、部下達の保全を条件についに降伏、投降した(アレシアの戦い)。その後、ウェルキンゲトリクスはローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄された後、カエサルの凱旋式が行われた際に処刑された。カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかった(蛮族に対してもやや基準が厳しいが、人質の倍増で済ますことがほとんど)が、若くして統一組織のないガリアの諸部族をまとめあげてしばしばローマ軍を打ち破った彼に対してだけはそうはしなかった。
フランス最初の英雄
近代に至ってもウェルキンゲトリクスはフランス最初の英雄、ガリア解放の英雄とされ、かつてアレシアの町があった現在のアリーズ・サント・レーヌ村(en)にはナポレオン3世の命によって銅像が建てられた。また、フランス人彫刻家フレデリク・バルトルディの手になるウェルキンゲトリクスの像が、クレルモン=フェランの中央広場に建てられた。そのほか、サン=ジェルマン=アン=レーには彫刻家エメ・ミレ(en)の手になる像が建てられている。
ギャラリー
- Vercingetorix stater CdM.jpg
"(VERCIN)GETORIXS" の名と横顔が浮き彫りにされたスタテル金貨(パリの、キャビネ・デ・メダイユ[en]所蔵)。
- VercingetorixSurrenders.jpg
ウェルキンゲトリクスのカエサルへの降伏(アルフォンス・マリー・ドゥ・ヌーヴィル[en]の手による、フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾーの著書のための挿絵)。
- Alise-Sainte-Reine statue Vercingetorix par Millet.jpg
かつての主戦場であるアレシアの野に建つ、ウェルキンゲトリクスの像(アリーズ・サント・レーヌ村[en])]]
- Statue Vercingetorix st germain en laye.JPG
サン=ジェルマン=アン=レーに建つ、ウェルキンゲトリクスの像(エメ・ミレ[en]作
脚注
関連項目
- ガリア戦記
- ガリア起源説
- 佐藤賢一 - ウェルキンゲトリクスを主役に『カエサルを撃て』を著した。テンプレート:Link GA