アレウト族

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19世紀に描かれたアレウト族の男女

アレウト族[1]テンプレート:Lang-en-short)は、アラスカカムチャツカの間にあるアリューシャン列島先住民族である。自身の名称はウナンガン(Unangax̂, Unangan, Unanga)。

狩猟武器の作成、ボートの組み立て、織物はアレウトの伝統的工芸の一つである。19世紀の職人は木製のハンティング帽で知られ、その帽子はカラフルなデザインを特色とし、アシカ震毛羽毛象牙などが付けられる。アレウトの女性はオットセイやラッコの毛皮、鳥類の皮から、パーカーを作り、また何人かはライ麦ビーチグラスを編んで籠を作り上げる。

歴史

アレウトの祖先は氷河期に北東アジアから渡ってきたとされる。17世紀までに主にアザラシラッコ漁で約25,000人が暮らし、大いに栄えた。

しかしロシア人の進出により海洋資源が枯渇し、また、彼らの持ち込んだ疾病によってその数は十分の一以下に激減し、1910年の調査ではアレウトの数は1,491人であった。

彼らは島々の洞窟内に数多くのミイラを残している。ミイラとされた人がどのような人かはわかっていないがごく一部の人のみがミイラとされていることから特別な人だけがミイラとされたと考えられる。

言語

アレウトの話す言語エスキモー・アレウト語族に分類され、1995年にはアレウト語[2]の話者は305人であった。

日本人漂流者との交流

1783年(天明3年)1月に、遭難した「神昌丸」(乗組員・大黒屋光太夫ほか)が、同年7月にアリューシャン列島アムチトカ島に漂着し、以後、カムチャッカへ向かうまでの4年間を、そこで過ごしている。そして、その当時の様子が「北槎聞略」に記されている[3]

脚注

  1. テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-en-short)とは全くの別民族である。
  2. アリュート語とは全くの別言語である。
  3. 桂川甫周『北槎聞略・大黒屋光太夫ロシア漂流記』亀井高孝校訂、岩波書店(岩波文庫)1993年、27~37頁
 

関連項目

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外部リンク