露天神社
テンプレート:神社 露天神社(つゆのてんじんじゃ)とは、大阪府大阪市北区曽根崎二丁目にある神社。通称:お初天神。概ね旧西成郡曾根崎村(キタの西半)を氏地とする。
概要
お初天神として親しまれる。祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神を祀る。社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という淀川の川筋がいく本にも別れていた時代に中州のひとつとなっていた。そこに「住吉住地曾根神」を祀ったとされる。創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。
天照皇大神を祭神として祀ることから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮)の一つにも挙げられた[1]。
社名は、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで涙を流したからとも、梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たためともいわれる。
お初天神
元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げた。一月後近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となった。事件の神社は一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されている。曽根崎心中の中では「三十三に御身を変へ、色で導き情けで教へ、恋を菩提の橋となし、渡して観世音、誓ひは妙に有難し」とお妙の名と観音信仰(明治以前は神仏習合が常態であった)をかけている。なお「お初」は天満屋での呼び名であり、墓所(慰霊碑)に記された久成寺(大阪市中央区中寺)での戒名は妙力信女であることから「お妙」などが推測される。
- 2004年(平成16年)には境内に「お初・徳兵衛」のブロンズ像[2]が建立された。
境内末社
- 金刀比羅宮・水天宮(祭神:天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱)
- 開運稲荷社(祭神:玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神)
- 難波神明社(祭神:天照皇大神・豊受姫大神)大阪三神明の夕日神明社。
主な行事
その他
拝殿前の石柱には、大東亜戦争(太平洋戦争)で大阪駅方向から飛来したP-51による機銃掃射の跡が残されている。
アクセス
周辺情報
ギャラリー
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お初と徳兵衛のブロンズ像
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表参道
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裏参道
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西側参道
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東側参道
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左近の桜
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右近の橘
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祓戸大神・御井神
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玉津稲荷