「がんばろう、日本!」国民協議会

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がんばろう、日本!国民協議会の街宣車

「がんばろう、日本!」国民協議会(がんばろう、にっぽん こくみんきょうぎかい)は、日本政治団体(ただし、2001年1月6日以降の総務大臣<及び所在地たる東京都選挙管理委員会>、それ以前の自治大臣に政治団体として設立届出しておらず政治資金規正法違反の可能性が高い組織[1]新左翼党派であるマルクス主義青年同盟の後身。

概要

民主的統一戦線を戦術とし、日本共産党を中心とした反ファシズム統一戦線を呼びかけていたが、日本共産党は「マル青同時代のテロ路線への自己批判が全くなく、ご都合主義的」と民主統一同盟との共闘を拒否した。また日本共産党が共闘を拒否する理由となった、前身である党派マルクス主義青年同盟が行った内ゲバ殺人事件については、岡山大学北津寮襲撃事件を参照のこと。 現代の日本で多数を占める新中間層大企業労働者に軸足を置こうとしているのが特徴。現在は「がんばろう!日本!!国民協議会」と名乗っている。近年、自民党民主党に所属している政治家へ接近している。

代表は戸田政康(1946年生)。日本大学入学後、全共闘運動を経てマル青同に。(過激な内ゲバなどで恐れられたが、赤軍派とはソリが合わず分裂した。)民主統一同盟代表就任後は野上耀三東大教授をブレーンにして改革保守を掲げている。松下政経塾出身議員と連携を深め、「小沢一郎首相待望論」「政権交代のあるアメリカ型保守二大政党制」を主張するほか、「小泉構造改革応援団」を名乗ることがある。

この団体に対しては、警察庁極左暴力集団として、警察法2条に基づく公共の安全と秩序の維持のために、その動向に重大な関心を有しているとされる[2]

大会

  • 「がんばろう、日本!」国民協議会運動を提唱する11・19集会 日本を再生させる衿持ある国民運動を!(2000年11月19日
  • 第一回大会 平成の草莽発起〜政権交代可能な政党政治の基盤整備をおしすすめよう(2001年9月23日
  • 第二回大会 国民主権の力で政権交代の波を!(2002年10月27日
  • 第三回大会 日本再生の戦略と政治意思を!(2004年5月23日
  • 第四回大会 草莽崛起の闘争精神で、パブリックの主権者運動を(2006年6月18日
  • 第五回大会 パブリックの輿論の力で、政策選択選挙へと迫り出そう(2008年1月6日
  • 第六回大会 政権交代 主権者運動は次のステージへ(2010年1月11日

脚注

  1. 政治活動を行う場合、政治資金規正法6条では組織の日から7日以内に届け出を出さなければならないが、参議院予算委員会(2011年12月6日)での西田昌司委員の質問に対する総務省選挙部長の答弁によると、政治団体としての届け出はしていないことが確認されている。
  2. 参議院予算委員会質疑(2011年12月6日)における西田昌司委員の質問に対する警察庁警備局長の答弁

外部リンク

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