龍造寺家純
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龍造寺 家純(りゅうぞうじ いえすみ、文明11年(1479年) - 天文14年1月23日(1545年3月6日))は、戦国時代の武将。龍造寺家兼の嫡男。龍造寺家門の兄。龍造寺周家・純家・頼純の父。娘は鍋島清房妻・千葉胤連妻・馬場政員(頼周の子)妻。龍造寺隆信・鍋島直茂の祖父にあたる。
当初は父家兼とともに少弐氏の家臣として活動し、1530年の田手畷の戦いでは少弐氏方として奮戦し、大内氏を破るのに貢献した。父が少弐冬尚に疎んじられるとともに少弐氏から離反したが、のちに和解が成立し父とともに帰参した。家臣の鍋島氏や旧主の九州千葉氏と姻戚関係を結ぶなど、龍造寺家の立場の強化につとめた。弟の家門を養子とし水ヶ江家の跡を継がせ、また、実子の周家を家門の養子として送り込み、本家村中龍造寺家から姫(のちの慶闇尼)を迎え、周家の妻としている。
1545年、龍造寺家の増長を恐れる少弐氏の重臣馬場頼周に暗殺された。しかし異説も多く、一説には頼周に煽動されて豪族・神代勝利と戦って敗死。または逃亡中に暗殺されたとも言われている。