金載圭
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金載圭(日本語読み;きん さいけい、朝鮮語読み;キム ジェギュ、1926年3月6日 - 1980年5月24日)は、韓国の軍人で、最終階級は韓国陸軍中将。KCIA部長。朴正煕暗殺事件で大統領ら2名を射殺して、内乱罪で有罪判決を受け、絞首刑にされた。
略歴
慶尚北道亀尾市出身。戦中は日本軍の特別士官候補生だった。朴正煕大統領とは同郷で、国防警備隊士官学校では同期生であるが、9歳年下。1961年に5・16軍事クーデターが起きた時には閑職にあったが、朴正煕に縁故人事で引き立てられて立身出世し、1973年にKCIA部長となって大統領の腹心の一人となった。
1979年の10月26日(安重根が伊藤博文を暗殺した同じ日)に、酒席の場で朴と車智澈警護室長を射殺した。殺害の理由は明らかになっていないが、当時釜山と馬山で起こっていた釜馬民主抗争への対応において、朴のもう一人の腹心であった車の強硬策が採用され、金の立場が脅威に晒されていたためとされる。
1980年に死刑判決を受け、同年5月24日に絞首刑に処された。
2004年、民主化補償審議委員会によって金による朴暗殺が民主化に寄与したか否かが議題として上ったが、全斗煥によるクーデター、並びに後の独裁を招いたとの指摘もあり、最終的な結論に至っていない。
評価
10.26クーデター(朴正煕暗殺事件)の真相や動機については謎が残るが、韓国では、朴支持者による一時的な精神錯乱の暗殺者という評価と、18年の長きにわたった軍事独裁政権に終止符を打った民主化運動の愛国者という全く正反対の評価がある。