鄭夢準
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鄭 夢準(チョン・モンジュン、1951年10月17日 – )は、韓国現代財閥を築いた鄭周永の六男で現代重工業の大株主。現・セヌリ党所属国会議員、大韓サッカー協会名誉会長(2009年1月 - )、FIFA名誉副会長(2011年6月 - )。
大韓サッカー協会会長(1993年 - 2009年)やFIFA副会長(1994年 - 2011年)を務め、その地位を利用して2002 FIFAワールドカップ大会の招致を成功させ、大会組織委員会(KOWOC)委員長として日韓ワールドカップを主催した[1]。ハンナラ党元代表(2009年9月 - 2010年6月)でもある。
略歴
- 1951年 釜山生まれ
- 1970年 中央高等学校卒業
- 1975年 ソウル大学校商科大学経済学科卒業
- 1977年 陸軍中尉満期除隊(ROTC)
- 1980年 アメリカのMIT経営大学院(The Sloan School of Management)卒業
- 1982年 現代重工業社長
- 1983年 蔚山大学校理事長(現) 大韓洋弓協会会長/世界洋弓協会運営委員
- 1984年 実業テニス連盟会長
- 1987年 現代重工業会長
- 1987年 東京大学交換教授
- 1988年 第13代国会議員当選(無所属、蔚山東区)。国会国防委員会委員, 経済科学委員会委員
- 1990年 学校法人現代学校理事長(現)
- 1991年 現代重工業顧問
- 1992年 第14代国会議員当選(統一国民党、蔚山東区)。国会国防委員会,文化体育公報委員会,統一外交通商委員会委員
- 1993年
- 大韓サッカー協会会長(現)
- アメリカのジョンズ・ホプキンス大学国際関係大学院(The School of Advanced International Studies, SAIS)国際政治学博士の学位取得
- 1994年 国際サッカー連盟副会長
- 1995年 ジョンズ・ホプキンス大学大学財団理事
- 1996年 第15代国会議員当選(無所属,蔚山東区)、国会統一外交通商委員会委員など。峨山財団理事就任
- 1997年
- 2002年ワールドカップ組織委員会副委員長
- 韓国外国語大学校国際地域大学院特別招聘教授
- 1999年
- 慶煕大学校体育科学大学院ビジティング・プロフェッサー
- 高麗大学校経営学部教授・学校法人高麗中央学校財団理事(現)
- 2000年
- 21世紀平和財団理事(現)。第16代国会議員(現),国会統一外交通商委員会委員, 国会女性特別委員会委員
- 2000年 2002年ワールドカップ組織委員会委員長
- 2001年 峨山財団理事長(現) ASIA SOCIETY財団理事(現)
- 2002年
- 日韓共催ワールドカップ主催。国会教育委委員(現)
- 大統領選挙に出馬を表明したが盧武鉉との候補者一本化に応じ、投票日の前日に取りやめ
- 2004年 第17代国会議員当選(国民統合21、蔚山東区)
- 2007年
- 2008年
- 1月29日:ハンナラ党第5回全国委員会で党最高委員に選出される[3]。
- 3月16日:4月に行なわれる第18代国会議員選挙にソウル特別市銅雀区乙選挙区から出馬することを宣言、統合民主党の鄭東泳との事実上の一騎打ちとなった[4]。
- 3月18日:7月に行なわれるハンナラ党代表選挙に出馬する意向も示す[5]。選挙の期間中にはMBCのある女記者の頬を撫でたり弄ったりした行動でセクハラスキャンダルに巻き込まれ謝罪の声明まで出す。
- 4月9日:この日行われた総選挙で、統合民主党の鄭東泳候補を破って当選を果たす[6]。
- 6月27日:KBS1ラジオのハンナラ党代表選の候補討論会の途中、相手の「市内バスの基本料はいくらか」と言う質問に「70ウォン」と答え世間の非難を引き起こす[7]。
- 7月3日:この日行われた党大会において、代表最高委員選挙が実施され29.7%の得票を得た朴熺太(パク・ヒテ)が新代表に当選した。次点となった鄭夢準は党最高委員に就任[8]。
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 1月6日:アジアサッカー連盟枠のFIFA副会長選挙にて、ヨルダン王族のアリ・フセインに敗れて副会長の座を失った[11]。
- 2012年
- 2014年
ワールドカップの招致
2002 FIFAワールドカップ
日本よりも5年遅い1994年に招致委員会を立ち上げた韓国は、豊富な資金力を持つ現代財閥の一員である鄭を中心に巻き返しを図った。鄭は同年のFIFA副会長選挙で当選し、特に欧州系のFIFA理事との関係を深めて、共催という史上初の決定によるW杯の招致成功に大きく貢献した。
また、豊富な資金力、政治力および、FIFA副会長という地位を最大限に駆使し、2002 FIFAワールドカップにおける韓国代表のベスト4獲得にも貢献した。その貢献度は3位決定戦でフース・ヒディンク監督よりも先に選手から胴上げを受けていることからも明らかである。
なお招致の成功については、ドイツ人当時ジャーナリスト(現バイエルン・ミュンヘン海外担当)マーティン・ヘーゲレによって、「各国担当者に高価な贈り物を贈ったり、娼婦を抱かせ弱みを握ろうとした。」などと行為の数々を暴露されている。また、ヘーゲレへ圧力をかけるよう鄭がフランツ・ベッケンバウアーに依頼したが、一蹴されたエピソードもヘーゲレは明かしている[18]。
その成功による韓国国民の支持を政治的資産として同年12月の大統領選挙に立候補したが、当時の与党系候補の一本化作業の中で自らの支持が盧武鉉に及ばない事を示され、投票日の前日に辞退する事となった。
2022 FIFAワールドカップ
2022 FIFAワールドカップの招致活動にも積極的に関わったが、韓国は2回目の投票で落選した。
政治家として
- 2010年4月15日、韓国ハンナラ党代表として訪日。日本は韓国と自由貿易協定を結び、農業分野の市場開放と非関税障壁の撤廃をするべきだと述べた。また、竹島問題について、「日本が小学校の教科書に竹島の領有権を主張する内容を盛り込んだことは納得しがたいことだ。過去の歴史的事実を認め、認識をともにすることから過去の清算は始まる」と述べた。[19]
- 2011年8月4日、菅直人総理大臣に対して、「慰安婦問題は人類歴史上最も醜い戦争犯罪で、慰安婦は戦争が終わった後も羞恥心のため、大部分故郷に帰らずに一生隠れて過ごさなければならなかった。20万人と推定される慰安婦中、234人が勇気を出して自ら慰安婦だったことを明らかにし、真相究明と謝罪を要求した」と日本軍の慰安婦問題解決を促す内容の書簡を伝達した[20]
著書
- 『日本人に伝えたい!―KOREA/JAPAN2002』(日経BP社、ISBN 482224220X、2001年10月1日発行)
脚注
外部リンク
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
朴熺太 (朝鮮語)
|style="width:40%; text-align:center"|ハンナラ党代表
第12代:2009 - 2010
|style="width:30%"|次代:
安商守
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