英虞湾
英虞湾(あごわん)は、三重県志摩市の志摩半島南部の湾。御座岬(ござみさき)と浜島町を湾口とする[1]。平成5年8月27日環境庁告示第67号(窒素又は燐が海洋植物プランクトンの著しい増殖の恐れのある海域として環境庁長官が定めた海域)による定義では、「三重県志摩郡大王町と同郡志摩町を結ぶ深谷大橋、同町御座岬と度会郡南勢町田曽埼を結ぶ線及び陸岸により囲まれた海域」となっている[2]。
概要
リアス式海岸として有名であり、真珠養殖も盛んで奈良時代から阿古屋貝から採れる真珠を出荷していた。明治時代半ばに阿古屋貝による真円真珠の養殖技術が確立されると、真珠養殖発祥の地としても知られるようになり、昭和初期には「真珠湾」とも呼ばれた。
湾内の深さはおおむね20m前後であるが、志摩町御座の北東にある最深部は40mであり、英虞湾岸の溺れ谷は最大40m沈水したことが分かる[3]。
青のりの養殖が盛んであるため、晩秋から春にかけて海苔網が多く建つ。また、ウミホタルも海に生育しているほか、数日間晴れが続いた場合、海が緑色に輝くこともある。
しかしながら、湾内の汚染が進み、赤潮や貧酸素水塊が発生している。汚染等を改善するため、いくつかのプロジェクトが行われている。たとえば1932年(昭和7年)10月14日の深谷水道開削によって太平洋の水を湾内に導水する[4]、海底のヘドロの改善などである。
湾内の島
湾内には大小50余りの島が浮かぶ。その中でも賢島と間崎島は有人島であり、賢島には鉄道駅(賢島駅)が存在し、本州と橋でも繋がっている。無人島は主なもので天童島、土井ケ原島、横山島、多徳島などが挙げられる。
歴史
「あご」と言う呼び方は天武天皇の時代に遡ることが出来る。古くから多くの人が暮らしており、石器時代の石器に使われた石は遠く信州から運ばれてきた物で石器時代から遠い地方との交流があったことが伺える。飛鳥時代には「志摩国志摩郡伊雑郷」、「志摩国志摩郡魚切里」、奈良時代には「志摩国英虞郡名錐郷」、「志摩国英虞郡名錐郷舟越里」、「志摩国英虞郡甲賀郷」等の地名を木簡に見ることが出来る。
主な海産物
英虞湾で最も採れるものは青海苔であり、地元では「アオサ」とも呼ばれ年間を通して採れる。また真珠貝の貝柱も食用されているほか、海松と呼ばれる珍味やアサリ、岩ガキなどがある。
交通手段
英虞湾に訪れる際の起点は賢島を除き、近畿日本鉄道志摩線の鵜方駅が最寄である(志摩市内の各方面に向かう三重交通バスの路線バスの停留所が鵜方駅前にあるため)。また、志摩町和具方面に向かう場合は、賢島から定期巡航船(志摩マリンレジャー運営)を利用することが出来る。
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
- 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編『わたしたちの志摩市』志摩市教育委員会、平成21年4月、156pp.
- 吉川虎雄(1949)"志摩隆起海蝕台"地理学評論(日本地理学会).22(6・7):218-227.