田村清顕
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田村 清顕(たむら きよあき、? - 1586年11月19日(天正14年10月9日))は、陸奥国の戦国大名。田村隆顕の嫡男。弟に氏顕。正室は相馬顕胤の娘・於北。
生涯
父と同様に英明な武将として知られ、父の死後、その跡を継ぎ当主となる。佐竹氏や蘆名氏に対抗するため、一人娘の愛姫を伊達政宗の妻として嫁がせ、伊達軍の援軍を得ることで独立を保持した。伊達氏と正室の実家である相馬氏との領土問題では、相馬義胤を説得して丸森城を伊達輝宗に返還させ、両者の和睦に成功した。しかし、清顕には愛姫以外に子供ができなかったため、1586年に清顕が没するとその後釜をめぐって田村家中、及び伊達家と相馬家の間で再び争いが起きた。その後、伊達政宗により、清顕の甥(氏顕の子)の宗顕が後継とされた。出自その他は田村氏を参照のこと。テンプレート:Japanese-history-stub