日葡辞書
『日葡辞書』(にっぽじしょ、テンプレート:Lang-pt-short)は、キリシタン版の一種で、日本語をポルトガル語で解説した辞典である。1603年 - 1604年にかけて長崎で発行された[1]。全てポルトガル語で記述され、約32,000語を収録している。原書名は "Vocabulario da Lingoa de Iapam com Adeclaração em Portugues" で、「ポルトガル語で説明を付けた日本の言語の辞典」を意味する。
『日葡辞書』の翻訳本として、ディエゴ・コリャードによりスペイン語訳された『日西辞書』 (Dictionarium sive thesauri linguae japonicae compendium, 1630年) とレオン・パジェスによりフランス語訳された『日仏辞書』 (Dictionnaires Japonais Français, 1869年) がある。『日葡辞書』に先行するものとしてアンブロジオ・カレピノのラテン語辞書をもとにした『羅葡日対訳辞書』 (1593年) があるが、『日葡辞書』との比較研究は進んでいない。
ポルトガル語部分を現代日本語に翻訳した『邦訳日葡辞書』が1980年に岩波書店より出版されていた(絶版)。
成立
イエズス会は、日本宣教当初より日本語研究のかたわら文法書や辞書などをまとめていた。1581年には府内コレジオで最初の日葡辞書が作られ、1585年には有馬セミナリオでも作られた。1591年に印刷機が日本に運ばれると、日本国外より来る宣教師が日本語を学習するための文法書や辞書を印刷出版することが決議され、複数の宣教師と日本人同宿が4年以上の歳月をかけて編纂した(ただし、ジョアン・ロドリゲスはこのなかには入っていなかったとされる[2])。1603年に本編が出版され、1604年には補遺が出版された。日葡辞書には印刷上の都合で漢字や仮名は附すことができなかったため、日本で用いられる漢字字書として別途1598年に『落葉集』が出版されていた。
構成
『日葡辞書』には、約32,000の日本語がポルトガル語式のローマ字で表記され、アルファベット順に配列されている。また、1語ずつ、ポルトガル語によって語義などが解説されている。解説には必要に応じて、方言・文書言葉・話し言葉・女性語・子供言葉・雅語・卑語・仏教語などの注が付してあり、当時の日本語の実相をよく表している。
意義
『日葡辞書』からは、室町時代から安土桃山時代における中世日本語の音韻体系、個々の語の発音・意味内容・用法、当時の動植物名、当時よく使用された語句、当時の生活風俗などを知ることができ、第一級の歴史的・文化的・言語学的資料である。
例えば、
- ハ行全段を現代語のファ行の子音にあたる [ɸ] (ポルトガル語や英語などの [f] とは異なる音) で、「せ」と「ぜ」は「シェ」と「ジェ」のような後部歯茎音で発音されていたこと。
- オ段の長音が ǒ と ô で書き分けられており、開音 [ɔː] と合音 [oː] が区別されていたこと。
- 「日本」の読みには、「にほん」(にふぉん)・「にっぽん」・「じっぽん」の3通りあったこと。
- 京都は「かみ」(上)、九州は「しも」(下)と呼ばれていたこと。
- 「侍」は「尊敬すべき貴人」と説明され、「武士」は「軍人」を意味するポルトガル語を与えられて区別されていたこと。
- 進退は「しんだい」、人数は「にんじゅ」、因縁は「いんえん」、抜群は「ばっくん」と読んでいたこと。
- 「ろりろり」とは、恐ろしくて落ち着かない様を表す語だったこと。(これは『広辞苑』が日葡辞書を出典として載せているためよく知られている)
- 当時すでに湯豆腐という食品が食べられていたこと(ただし、薄い豆腐でかけ汁を添えると説明されており、朧豆腐のようなものか)。
など、執筆者らが日常接していた当時の日本人の言葉、生活様式を垣間見ることができる。
また、当時使われていた中世ポルトガル語の貴重な資料ともされている。
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Cooper 1974: 222-24
関連項目
参考文献
- 『邦訳日葡辞書』土井忠生・森田武・長南実編訳、1980年、岩波書店 (ISBN 4-00-200451-1)
- Cooper, Michael. Rodrigues the Interpreter: An Early Jesuit in Japan and China. New York: Weatherhill, 1974.