将棋会館
テンプレート:建築物 将棋会館(しょうぎかいかん)は、日本将棋連盟の本部のある建物。
将棋会館
東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目にあり、千駄ケ谷駅から徒歩6分。1976年に建設。当初は8階建てにする予定だったが、建築規制のため5階建てとなった。
棋士および女流棋士の公式戦の多くとタイトル戦の一部は将棋会館の対局室で指される。奨励会の対局も行われる。また、2009年3月まで存在した女流育成会の対局も行われた。
対局室は和室で、座布団に座る形で対局を行う。対局室には、特別対局室、高雄の間、棋峰の間、雲鶴の間、飛燕の間、銀沙の間、桂の間、香雲の間がある。
また上京した棋士のための「宿泊室」、椅子で対局する洋室の「研修室」もあり、一般の人が参加できる将棋道場など将棋教室も開かれている。
建設にあたり、吉永小百合が多額の寄付をした。剱持松二の人脈から三菱電機も多額の寄付をしており、会館の「高雄の間」の名称は、当時同社が販売していたテレビのブランドである「高雄」に由来するという説がある[1]。このほか「将棋界の大旦那」として知られる七條兼三(詰将棋作家、秋葉原ラジオ会館創業者)も、建設中の代替施設の連帯保証人を務めるなど大きな尽力をしている[2]。
「東京将棋会館」と書かれることが多いが、誤りである。観戦記者の田辺忠幸は、将棋世界の連載エッセイで「東京将棋会館という建物はない」と指摘し、「東京・将棋会館」と書くことを推奨した。
開設当初は地下にレストラン「歩(あゆむ)」が存在したが、会館の場所が文教地区指定を受けているため一般向けの営業ができず、関係者用の食堂としての営業を強いられたことなどが原因で1997年に閉店。以後は『将棋世界』等の編集を行う出版部の事務室となったが、2009年に日本将棋連盟が出版業務を毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)に移管したため撤退し、2011年にスタジオに改装された[3]。
フロア
※2013年12月現在。
5階 | 対局室・中継室・ニコニコ生放送用スタジオ・宿泊室等 |
4階 | 対局室 |
3階 | 事務室 |
2階 | 道場・教室 |
1階 | 販売部 |
B1階 | 囲碁・将棋チャンネル用スタジオ |
関西将棋会館
大阪府大阪市福島区にあり、JR福島駅から徒歩2分。1981年に建設。
東京の将棋会館と同様、対局室が設けられており、関西所属の棋士の対局はここで行われることが多い。
対局室には、水無瀬の間、錦旗の間、御入側の間、芙蓉の間、御下段の間、御上段の間があり、このほか多目的ルームがある。
東京と同様、将棋道場、将棋教室なども設けられている。4階には将棋博物館が併設されていたが、2006年10月に閉館となった。
フロア
5階 | 対局室 |
4階 | 多目的ルーム、和室 |
3階 | 事務所 |
2階 | 道場 |
1階 | 販売、レストラン「イレブン」、カフェ・ダイニング「サーレアンドぺぺ」 |
将棋博物館
関西将棋会館の4階にある博物館で、日本将棋連盟が保有している将棋関連の資料を展示していた。中将棋・大将棋などの日本の古将棋(大局将棋は展示されていない)を復元した盤駒や、世界の将棋類(チャトランガ・シャンチーなど)、木村義雄十四世名人の家族から寄贈された将棋盤などが展示されていた。
1981年、名人三家のひとつである大橋家に残された古文書が寄贈され、博物館内に保存されていた(通常は展示されていない)。
2006年10月、スペース不足を理由として閉鎖され、所蔵品は大阪商業大学アミューズメント産業研究所に移管されると発表された。
脚注
外部リンク
テンプレート:将棋- ↑ 4月15日の昇段者免状授与式で九段昇段の田丸が挨拶 - 田丸昇のと金横歩き・2013年5月6日
- ↑ 大山康晴十五世名人と塚田正夫九段と七條兼三氏 - 将棋ペンクラブログ・2010年7月1日
- ↑ 東京の将棋会館の地下は昨年から「銀河戦」などの番組の収録スタジオ - 田丸昇のと金横歩き・2012年8月30日