大間原子力発電所
大間原子力発電所(おおまげんしりょくはつでんしょ)は、青森県下北郡大間町に建設中の電源開発の原子力発電所である。
概要
大間原子力発電所は、ウラン燃料だけでなく、MOX燃料を全炉心に装荷できることが特徴であり、1995年8月の原子力委員会決定によると、「中期的な核燃料リサイクルの中核的担い手である軽水炉によるMOX燃料利用計画を拡げるという政策的な位置付けを持つ。」とされている。
沿革
- 1976年4月 大間町商工会は大間町議会に原子力発電所新設に係る環境調査実施方を請願
- 1982年8月 原子力委員会は電源開発を実施主体とする新型転換炉実証炉計画を決定
- 1984年12月 大間町議会は原子力発電所誘致を決議
- 1995年7月 電気事業連合会は経済性に見通しが得られないとの理由で新型転換炉実証炉計画見直しを申入れ
- 1995年8月 原子力委員会は新型転換炉実証炉の代替計画に全炉心にMOX燃料装荷可能な改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)を決定
- 1998年9月 通商産業省に環境影響調査書を提出(地元町村での縦覧、一般説明会の開催)
- 1998年12月 通商産業省は第一次公開ヒアリングを開催
- 1999年6月 原子力安全委員会が「改良型沸騰水型原子炉における混合酸化物燃料の全炉心装荷について」を了承
- 1999年8月 国の電源開発基本計画に組入れが決定
- 1999年9月 電源開発は通商産業省に原子炉設置許可申請
- 2003年2月 電源開発は炉心建設予定地付近の用地買収を断念。炉心建設予定地の変更を行う
- 2004年3月 電源開発は発電所配置計画見直しに伴い改めて経済産業省に原子炉設置許可申請
- 2005年10月 原子力安全委員会は第二次公開ヒアリングを開催
- 2008年4月 経済産業省が大間原子力発電所の設置を許可
- 2008年5月 第1回工事計画認可(着工)
- 2008年11月 運転開始予定を2012年3月から2014年11月に延期することを発表[1][2]
- 2010年7月 青森県大間町や対岸の北海道函館市の市民グループ168人が、国と事業主の電源開発(東京都中央区)を相手取り、設置設計取り消しと建設差し止めを求める訴訟を函館地方裁判所に起こした。総額510万円の損害賠償も求めている。
- 2012年3月 運転開始時期を変更(2014年11月予定を未定に変更)
- 2013年12月 燃料装荷予定(2011年3月から延期)
- 2014年11月 運転開始予定(当初の予定であり、2012年3月の発表により現在は未定となっている)
反対運動と影響
大間原子力発電所は、1984年の誘致決議から2008年5月に至るまで着工すら行われていなかった。これは、炉心建設予定地付近の土地を所有する地権者が原子力発電所の建設に反対し、最後まで買収に応じなかったためである。このため、電源開発は2003年2月、ついに用地買収を断念し、建設計画の見直しと原子炉設置許可申請の変更を強いられることとなった。反対運動の影響により原子力発電所の原子炉設置許可申請が変更されたのは非常に特異なケースである。
なお、この用地買収をめぐっては、買収金に関する不明朗な噂がいくつか飛び交っていたことが報道されている[3]。
TBSの『報道特集』で、2002年に原発に関わる企業が用意した用地買収のための資金7千万円が狂言強盗によって横領された事件があり、その元実行犯と当時を知る元大間町議員の話によると反社会的勢力が用地買収に関わっていたと証言したが、電源開発は他の民間業者に用地買収を依頼したことはないと証言し関与を否定したと報道された[4]。
東北地方太平洋沖地震の影響
防災対策の追加
この地震発生時、本発電所は建設中であり、運転開始後の状態にあった炉は1基もなかった。建設主体の電源開発は5月2日、東北地方太平洋沖地震を受けて、タービン建屋、原子炉建屋などの前面に防潮壁を設置すると発表した[5]。一方、東通原子力発電所と本発電所の一次変電所が上北変電所を共用し、送電ルートの多重化がなされていない点が報じられた。同様に原子力施設の集中している福井県敦賀半島では北陸電力、関西電力による多重化が進められているという[6]。
福島第一原子力発電所事故後、東北電力が管内の原子力施設の安全性を緊急に再検討した資料によれば、大間原子力発電所に対しては、上北変電所からの500kV幹線2回線に加え、66kV大間線が接続され2ルート3回線となっており、上北変電所自体も回路の2重構成化を実施済みであるという。ただし、報告書の10ページで想定されている上北変電所が全故障した場合などの超過酷ケースにおいてはこの3回線による外部からの電源供給が絶たれるため、更なる多重化を目的として、上北変電所を経由しないで六ヶ所変電所に至る154kV回線を本発電所の運転開始前に1回線増設し、下北半島の原子力施設全体の信頼性向上にも資することとされた。また、変電所が故障した場合、移動ケーブル等の復旧資材などを確保することも決められた[7]。
政治的影響
地震後の2011年5月の青森県知事選挙に伴い、県内の原子力施設問題が争点に浮上した[8]。現職で今回も立候補している三村申吾は「福島第1原発事故の収束と、東電が事故収束に向けて示した工程の順守が最優先」と述べた。民主党県連幹事長の山内崇は原子力は基幹電力であるとしながらも、県内での原発新設を凍結し、「安全基準の見直しや防災避難道路の整備など、防災体制の構築が工事再開に向けた議論の第一歩」「安全基準や耐震指針に高いレベルを求める」などと述べた[9]。民主党幹事長の岡田克也は5月12日の記者会見で「福島原発の重大な事故を教訓とし、より安全性の高い原子力発電を実現していかなければいけない」として建設続行方針を表明した。一方、知事選候補で日本共産党青森県委員会書記長の吉俣洋は、県民の安全が第一と訴え、東北電力東通原子力発電所2号機、および東京電力の同発電所2号機の計画を「当然中止」とし、東京電力の1号機の建設に対しても中止を求めた[10]。
民主党総括副幹事長で衆議院議員の逢坂誠二が民主党道8区総支部、北海道議会民主党、道民連合を率い、北海道知事の高橋はるみに「北海道は大間原発建設の永久凍結を求めよ」との要望書を提出。高橋は民主党総括副幹事長が道庁まで来たついでに「大間原発の安全性に関して、国は明確に説明せよ」他との要望書を逆提出[11]。
函館市工藤市長ら経産省などに大間原発無期限凍結を要請[12]。
2014年4月3日、函館市は国と電源開発を相手取って原発の建設差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした[13]。これに先立つ同年3月26日に函館市議会はこの訴訟の可否を問う議案を全会一致で可決している[14]。
発電設備
電源開発株式会社大間原子力発電所原子炉設置許可申請の概要に基づき記述。
原子炉形式 | 運転開始 | 定格出力 | 使用燃料 | 現況 | |
---|---|---|---|---|---|
1号機 | 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) | (未定) | 138.3万kW | MOX燃料、低濃縮ウラン燃料 | 建設中 |
注釈
- ↑ 大間原発運転開始2年8カ月延期(asahi.com)テンプレート:リンク切れ
- ↑ 大間原子力発電所の工程変更について(電源開発)
- ↑ 朝日新聞青森総局『核燃マネー 青森からの報告』岩波書店
- ↑ 2011年5月21日TBS「報道特集」(内容はノート参照)
- ↑ 大間原発に防潮壁_県に計画報告 再処理施設も対策説明 『読売新聞』2011年5月2日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 青森の2原発、電源が同一変電所 冷却確保へ多重化急務 『共同通信』2011年5月4日
- ↑ 原子力発電所の外部電源の信頼性確保について(報告) 『東北電力』2011年5月P9-12(経済産業省プレスリリース2011年5月16日)
なお、この報告では電源開発の責任分界内である発電所構内については報告の対象外である。 - ↑ 原子力政策 争点に浮上/知事選 『東奥日報』2011年4月28日
- ↑ 民主・山内氏 原発新設凍結を/知事選
- ↑ 原発が争点に浮上 知事選 『朝日新聞』2011年04月28日 朝日新聞テンプレート:リンク切れ
- ↑ 2012年3月12日 毎日新聞
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 大間原発の建設中止求め提訴 国など相手に、函館市が自治体初 『北海道新聞』2014年4月3日
- ↑ 大間原発の建設差し止め議案可決 函館市議会、提訴条件満たす 『北海道新聞』2014年3月26日
参考文献
- 朝日新聞青森総局『核燃マネー 青森からの報告』岩波書店 ISBN 4000224530
外部リンク
- 大間原子力発電所の建設計画 - 電源開発
- 大間原子力発電所の建設状況 - 日立GEニュークリア・エナジー
- 大間原子力発電所の概要 - 青森県原子力立地対策課
- 大間原子力発電所に係る情報 - 北海道原子力安全対策課
- 大間原子力発電所の概要 - 函館市