中山寺 (宝塚市)
テンプレート:日本の寺院 中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある寺院。
真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音。西国三十三所第24番札所。
本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。
目次
歴史
寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。現在の本堂(慶長8年・1603年再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した。羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。
安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。
中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。中山寺の境内からは18丁[1]、徒歩50分程度で参拝する事ができる。
毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れる。
文化財
重要文化財(国指定)
- 木造十一面観音菩薩立像(本尊) - 平安時代前期
- 木造薬師如来坐像 - 平安時代後期
- 木造聖徳太子勝鬘経講讃坐像 附:経机、経巻、台座、礼盤(各木造) - 鎌倉時代~室町時代
- 木造大日如来坐像 - 平安時代後期
兵庫県指定重要有形文化財
- 本堂 - 慶長8年(1603年)豊臣秀頼の命で片桐且元が再建
- 護摩堂 - 慶長8年再建
- 大門 - 天保3年(1646年)徳川家光の再建
- 木造十一面観音立像 2躯 - 鎌倉時代
兵庫県指定史跡
宝塚市指定文化財
行事
- 8月9日の夜に西国三十三所の観音が星に乗って中山寺本堂に集まるとされ、星下り大会式が行われる。8月9日の夜には、梵天(御幣)が中山寺の塔頭に納められる。この8月9日に中山寺に参詣すると四万六千日参拝したのと同じ功徳があるとされる。
- 2月3日節分には、毎年宝塚歌劇団生徒を招いての追儺(ついな)豆まき式が行われる。
- 彼女たちが扮する観音様が三毒(貪(とん/むさぼり(欲張る心))・瞋(しん/いかり(怒る心))・痴(ち/おろか(迷う心)/人間の諸悪の根源である)の象徴・三匹の鬼をさとし、福・禄・寿に変身させるというショーが行われる。
札所
- 西国三十三所第24番
- 摂津国八十八箇所第69番(大師堂)
- 摂津国八十八箇所第70番(納経所)
- 摂津国八十八箇所第71番(奥の院)
- 摂津国三十三ヶ所第1番
- 阪急沿線西国七福神(寿老神堂)
- 真言宗十八本山
- 聖徳太子御遺跡26番(開山堂)
- 近畿三十六不動尊霊場21番(護摩堂)
- 神仏霊場巡拝の道兵庫15番
- 御詠歌
- 野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へまいるは のちの世のため
- 群雲のかかる浮世の中山に 慈悲の光やひとり晴れゆく
所在地・アクセス
〒665-8588 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11番1号
周辺情報
隣の札所
境内
- Nakayamadera hondo2040.jpg
本堂
- Nakayamadera amidado1920.jpg
阿弥陀堂
- Nakayamadera Pagoda.JPG
大願塔
- 中山寺大師堂.jpg
大師堂
- 中山寺護摩堂.jpg
護摩堂
- Nakayamadera shorodo1920.jpg
鐘楼堂
- Nakayama Temple Okunoin.jpg
奥の院
脚注
関連項目
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- 日本の寺院一覧
- 日本の寺の画像一覧
- 朝日放送(ABCラジオ) - ラジオ部門スタッフだった浅尾武史(通称「ジャイアン浅尾」。2014年6月1日付で広報部門へ異動)が作詞・作曲、同じくラジオ部門スタッフだった太田涼子(現姓・靭=うつぼ。通称「小パンダ」)が歌唱したオリジナルのラジオCMを流している。その縁もあり追儺豆まき式にはABCラジオの番組出演者(桑原征平、妹尾和夫、三代澤康司アナなど)が参加する。ちなみに浅尾と太田はCM制作当時は独身だったが、後にそれぞれ結婚している。