ショッパーズプラザ新浦安
テンプレート:商業施設 テンプレート:建築物 ショッパーズプラザ新浦安(ショッパーズプラザしんうらやす)は、千葉県浦安市入船一丁目にある大型ショッピングモール。建物はダイエー新浦安店と一体になっている。店番号は0409。開業当初のキャッチコピーは『新「生活便利館」誕生。』である。
目次
概要
生活便利館と銘打って「ショッパーズプラザ」の名称を使用した最初のショッピングモール。「スーパーコンビニエンスシティ」をコンセプトにしていた。計画当初の仮名称は「USE」(浦安ショッパーズエンパイアビル)[1]。開業当初は240の専門店を有した。かつてはディスコも存在したが現在は閉店している。
当店が存在する以前はオリエンタルランドが保有する空き地であった。日本国有鉄道が京葉線を開通させるのに伴い駅が設置されることとなった新浦安駅前は再開発する機運が高まった。
1983年に長谷川工務店(後に長谷工コーポレーション)が初めて大規模開発事業を担当する事になり、「浦安AMCプロジェクト」を立ち上げた。その時、ダイエーが出店に名乗りを挙げ参画し、他の10のデベロッパーと共にオリエンタルランドの駅前周辺の保有地(14ha)を買収することとなった。
その内、駅前の南口の7haにダイエー含む16階建ての総合ビルを建設を計画していた[2]。当初は、ダイエーは地元商店と共存した商業施設として出店を計画していたが、長谷川工務店と共に協議を行っていた浦安市が「駅の表と裏を作らない」よう注文を付け、北口にも配慮する事やダイエー側が北口にも出店するよう要請した。ダイエーはこの要求は到底を呑めるものではないと困難の姿勢を示していたが、この計画が10年越しの計画であった事を考慮し、北口にも出店する事を決意した[3]。
その後、試行錯誤の計画の変更により地上8階・地下2階の大型商業施設のみ分離して建設されることとなった。
1988年には公に構想が公表され、新浦安オリエンタルホテルと共に建設された。施工は株式会社ウラタが担当した[4]。
かつては月に1回ほどbayfmのDJショーや、公開録音も行ったこともある。
都心から近い事もあってダイエーの店舗としては碑文谷店と並んでマスコミへの露出が比較的多い。
沿革
- 1984年4月21日 - 浦安AMCプロジェクトの起工式が行われる[5]。
- 1986年12月 - 大店立地法3条の届出を完了。
- 1990年6月28日 - ショッパーズプラザ新浦安開業
- 1990年7月 - 浦安市民プラザWave101オープン。「献血ルームうらやす」開所
- 2006年4月20日 - 改装工事を施しオープン。
- 2011年7月28日 - 改装工事を施しオープン。ペット用品・衣料品の充実化を図る。食品は惣菜等の中食関係を強化
フロア構成
階 | ダイエー新浦安店 | ショッパーズプラザ新浦安専門店街 |
---|---|---|
屋上 | なし | フットサルコート |
8階 | サービスフォーラム58 | |
7階 | サービスフォーラム58 | |
6階 | サービスフォーラム58 | |
5階 | サービスフォーラム58 | |
4階 | コミュニケーションダイニング | |
3階 | 衣料品・暮らしの品のフロア | カジュアルピアッツア |
2階 | 化粧品のフロア | センシティブシーン |
1階 | 食料品・日用消耗品のフロア | グルメショーマート |
地下1階 | 駐車場 | |
地下2階 |
主なテナント
1階
2階
3階
4階
- 浦安市民プラザ WAVE101
- セントラルウェルネスクラブ
- 築地はなの舞
- さくら水産
- 土間土間
- CoCo壱番屋(1997年11月14日開店)
- サワディー
5階
6階
- コスモ調剤薬局
7階
8階
かつて存在した主なテナント
- ドムドムハンバーガー
- とんかつ和幸
- ポケットシネマ1・2(ビデオシアター、2006年3月31日閉館)
- ハーゲンダッツ(2013年4月25日、日本最後の店舗として閉店。)
関連項目
脚注
注釈
出典