シニョリーア
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シニョリーア(テンプレート:Lang-it-short)は、イタリア語で支配、統治、主権などのことで、特に歴史上13世紀後半から15世紀頃のイタリア諸国に現れた、僭主が支配する政治体制を指す。紳士、主人、領主などを意味するシニョーレ(signore)の派生語である。
12世紀以降、北部・中部のイタリアの諸都市は都市国家の形態をとり、共和制の伝統が根付いていた。しかし、戦争など緊急の際には共和政ローマにおける独裁官と同様に、臨時に1人に主権を任せることがあり、やがてこれが終身化し、のちには世襲化していった。ルネサンス期には、世襲の僭主国家が各地に見られるようになった。その後、多くの僭主たちは皇帝・教皇から公・侯などの封建領主に封じられ、世襲支配に制度的保障を獲得することになる。なおフェラーラのエステ家のようにもともと封建領主(エステ家の場合はエステ辺境伯)だったものがシニョーレとして実権を掌握した例もある。
- 北イタリアのミラノでは、ヴィスコンティ家が早い時期にシニョリーア体制を築いた。
- 1277年、オットーネ・ヴィスコンティがミラノのシニョーレとなる。1395年、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが神聖ローマ皇帝ヴェンツェルよりミラノ公の称号を得る。
- 中部イタリアでは、ミラノやヴェネツィアのように広範囲で強力な支配をなしとげた国家が存在しなかったため、ボローニャのベンティヴォーリオ家、ペルージャのバリオーニ家、シエーナのペトゥルッチ家、リミニのマラテスタ家、カメリーノのヴァラーノ家など、多くのシニョーリアが乱立した。