イレーヌ・ジョリオ=キュリー
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イレーヌ・ジョリオ=キュリー(Irene Joliot-Curie、1897年9月12日 - 1956年3月17日)は、フランスの原子物理学者。父はピエール・キュリー、母はマリ・キュリー。妹はエーヴ・キュリー。パリ生まれ。
パリ大学でポロニウムのアルファ線に関する研究で学位を取得。1926年、母マリの助手だったフレデリック・ジョリオと結婚。1934年に30Pを合成し、1935年、「人工放射性元素の研究」で、夫フレデリックと共にノーベル化学賞を受賞。 1936年、ブルム内閣の科学担当国務次官に就任。また同年、母の後任としてパリ大学教授にも就任。
夫フレデリックはフランス共産党員だったが、イレーヌは婦人同盟員だった。
参考文献
- ノエル・ロリオ著「イレーヌ・ジョリオ・キュリー」(共同通信社、1994年)ISBN 4-7641-0328-1