イシク・クル

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ファイル:Issyk Kul.PNG
イシク・クルの位置(赤矢印)
ファイル:Issyk Kul beach.JPG
イシク・クルの浜

イシク・クルウイグル語Ysyk-Köl[1]キルギス語Ысык-Көлテンプレート:Lang-ru)は、天山山脈の北、キルギスの北西に在る内陸湖イシク湖イシククル湖イスィククリ湖などとも表記される。なお、沿岸の港湾都市もイシク・クルと呼ぶテンプレート:要出典

古称は熱海呉音:ねつかい、漢音:ぜつかい)。代の詩人岑参は、「側聞陰山胡児語、西頭熱海水如煮。海上衆鳥不敢飛、中有魚長且肥。」と詠んでいる。

概要

長さ182km、幅60km。面積は6,236 km²。周囲は688kmで、琵琶湖の9倍。最大深度は668m。標高は1,606mという高地にある。周囲から流れ込む河川は存在するが、イシク・クルより流出する河川は認められない。塩分濃度は0.6%程度である。透明度は20mを超える。数少ない古代湖の一つである。

標高が高く、冬季は厳寒の気候であるが、の水温は20度、の水温は3度程度ある。塩分濃度が比較的低いにも拘らず、冬でも湖面は凍らない。原因は不明だが、これは湖底から温泉が湧き出ているためという説がある。

イシク・クル周囲には多数の鉱山が存在する。その為、ソビエト連邦支配下では、外国人の湖畔への立ち入りは禁じられていた。しかしキルギスが独立した後は、貴重な観光資源としての活用が行われている。

イシク・クルの湖底には、多数の遺跡が水没している事が確認されている。湖畔の砂浜には陶器など、湖底遺跡から流れ着いたものが打ち寄せることが有る。なぜ遺跡が存在するかは未だに謎である。この件に関しては何度か潜水調査が行われ、遺跡は1つではなく、様々な時代の遺跡が水没している事が判明した。その内の1つに、曾て湖畔に存在したという烏孫の赤谷城が有る。

昔の文献によると、この湖には少なくとも16世紀頃までは島が有り、更にその島には城が存在していたという事だが、今はその面影は全く無い。

イシク湖には旧ソ連時代から魚雷の試験場があったため、旧ソ連時代にはイシク湖に外国人は立ち入れなかった[2]

2008年9月6日放送の『日立 世界・ふしぎ発見!』で紹介された。

脚注

  1. ウイグル語で、正しくは「ウスク・キョル」と発音する。
  2. 浜野道博『検証キルギス政変 天山小国の挑戦』73頁

関連項目

外部リンク

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