ひるのプレゼント
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組
『ひるのプレゼント』は、1970年4月6日から1991年3月29日までNHK総合テレビで平日昼に放送された生放送のバラエティ番組である。愛称は「ひるプレ」。全5257回。放送時間は毎週月曜 - 金曜 12:20 - 12:45 (JST) 。衛星放送が始まった1984年以降はBS2でも放送されていた。
番組の歴史
初代司会は飯窪長彦、山川静夫で、彼らが隔週交代で担当していた。その後、生方恵一、松平定知、宮川泰夫ら当時の若手有望株のNHKアナウンサーたちが司会を務めるようになった。テーマ曲は宮川泰が担当(CD『懐かしのNHKテレビ主題曲集』にも収録されている。一時期キーボードを使ったデジタル風の曲を用いていたが、不評だったために元に戻した)。松原敏春、喰始らが構成を、滝大作が演出を担当。
歴代司会
番組タイトルの略称
番組タイトルの略称は「ひるプレ」で、山川が何の事無しに口走った物。この略称は最初批判を浴び、当時の放送総局長も「みだりに番組名を省略するな」と現場に伝えた。しかし、「ひるプレ」の略称は愛称へと変わり、開始当時の批判もぴたりと止んだ。
オープニングタイトル
1970年代後半から1980年代前半にかけて、オープニングタイトルのテロップの文字「ひるのプレゼント」の配置がちぐはぐになっていたため、一部の視聴者は「ひのるプゼトレン」というタイトルと勘違いしていたという。
また、「プレゼント」の文字は、箱に入ったプレゼントを飾るリボンをイメージして描かれている。
主な演出方法
番組予算は当時としては破格の安値だったため、スタッフ、司会者は知恵を絞った。その結果「ミクロとマクロ」の使い分けで乗り切ることになった。例えば、「長谷川一夫の5日間」では出演者·セットを豪華にし、ミクロではコント55号の2人がござを引いてラーメンを啜ってコントで25分持たす趣向等も多用した。また出演者をからかう事もあり、西城秀樹、武田鉄矢、松平らが画面上では横に並んでいるがカメラが引くと武田、松平が台に乗っている等の演出も視聴者を楽しませた。
演出ではないが、ある時放送時間が5分繰り上がった(直前のNHKニュースの海外ニュースの部分が年末編成のためになくなった)ことに気づかず、5分間番組開始前の状況(実際にはピンボケの椅子だけ)を放送していたことがある。通常の番組開始時間が始まると、「本日は年末のために特別に番組開始前から放映している」旨とアナウンサーが説明し、その場を取り繕っていた。
「初春歌い初め、ひばり節!」
1981年1月5日 - 9日には「初春歌い初め、ひばり節!」が生放送され、美空ひばりが5日間にわたって合計39曲を熱唱した。
しかし、当時のNHKでは放送用ビデオテープによる生番組の収録・保存は、『紅白歌合戦』、『レッツゴーヤング』などの一部の番組を除いて行われなかった。この放送も放送時間が短いことなどから収録・保存の対象外とされ、現存していないものと考えられていた。
ところが2006年、一般視聴者が収録・保存していた家庭用ビデオテープを発掘。NHKアーカイブスでの修復作業を経て、25年ぶりにBS2の追悼特番の中で抜粋で放送された。放送後、視聴者から全編放映を望む声があったため、2007年6月24日にBS2で放送された追悼特番の中で全編放送された。この全編放送の際には、当時司会を担当していた生方恵一(元NHKアナウンサー)がゲストに招かれ、ひばりとの思い出について語っていた。さらに、放送当時の台本が公開された。
発掘されたビデオテープの保存状態は再生がほとんどされていなかったことが幸いしてか比較的良好で、映像の乱れがほとんど無い。
ひばりの衣装は、1・2・4日目が着物、3・5日目はドレスであった。一方、生方の衣装は、1・2日目が着物、3 - 5日目はタキシードであった。
「芸人としてのステータス」
ビートたけしによると、この番組に出られることは、芸人にとって売れて一人前になったという証だったという。その番組にツービートとして出演した際、昼の番組であるにも関わらず、「あっ、ウンコ踏んじゃった!」などたけしはウンコを連発し、番組ではウケたものの、担当プロデューサーが左遷されたらしいという。