シナイ半島
360px ナイル川河口(左半分)とシナイ半島(右半分) | |
175px シナイ半島の位置 |
176px 左がスエズ湾、右がアカバ湾 |
シナイ半島(シナイはんとう、ヘブライ語: חצי האי סיני Chetzi HaYi Sinai テンプレート:Lang-ar Shibh Jazīrat Sīnā')は、西アジアのアラビア半島とアフリカ大陸北東部の間にある半島。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。南へ向けた三角形の形状をしており、先端はムハンマド岬。南部にはシナイ山がある。
現在エジプト領で、南部沿岸地方は観光開発が行われ、世界的に有名な高級リゾート地となっている。さらに、紅海は美しいダイビングスポットとして知られる。だが、東端はイスラエルとの国境およびパレスチナ自治区ガザとの境界、西端にはスエズ運河があるため、地政学的な背景から時に危険視されることもある。また、過去に何度か過激派によるテロ事件が発生している。
歴史
出エジプト後ヘブライ人らはシナイ半島へ渡り、モーセがシナイ山で十戒を授かったとされる。シナイ山(ガバル・ムーサ)の麓には、337年にコンスタンティヌス帝の母ヘレナによって創建された聖カトリーナ修道院がある。
古代におけるローマ帝国・東ローマ帝国の領土を経て、中世から近世にかけてウマイヤ朝・アッバース朝・ファーティマ朝・アイユーブ朝・マムルーク朝・オスマン帝国と興亡するイスラム王朝の領域へと次々と移り変わっていった。
17世紀に入りオスマン帝国に陰りが見え始めると、オスマン帝国から独立したムハンマド・アリーによるムハンマド・アリー朝の支配下に置かれ、1952年のエジプト革命後はエジプト・アラブ共和国下に置かれた。1967年の第三次中東戦争時にイスラエルの侵攻によって同国に占領され、1973年の第四次中東戦争でも戦場となったが、1978年のキャンプ・デービッド合意によりエジプトへ返還されることとなり、その後順次返還された。
2010年のエジプトホスニー・ムバーラク政権末期から、半島北部でイスラム原理主義勢力の活動が確認されており、同勢力とエジプトのムスリム同胞団との関係がエジプト軍などからは疑われている[1]。2013年エジプトクーデターの際には、イスラム原理主義勢力により、公共施設の襲撃やイスラエルに対するロケット攻撃が行われた[2]。
主な都市
脚注
- ↑ 「「エジプト情勢 これからどうなる」① 鈴木恵美 早稲田大学イスラーム」 鈴木恵美
- ↑ 「エジプト騒乱、周辺国への波及警戒 」 2013/8/17 1:36 日本経済新聞
関連項目
- 人物
- 自然
- 建造物